無力感の日々

 連日のメディアの、原発事故の微に入った報道には本当にうんざりしている。大部分の人にとっては、その情報を聞いてもどうすることもできないし、単に国民の不安が募り、「買いだめ」などのパニック現象を悪化させるだけだろう。そして、実際そうなりつつある。

 テレビはまだしも、もう少し冷静だと思っていた大新聞社の報道のパニックぶりには本当に驚いた。素人なのでコメントや評価は差し控えるが、ネット上で発言している人たちのほうが、圧倒的に説得力があり、そしてバランスがとれているように思われる。

政府には勇気を、マスメディアには冷静さを http://synodos.livedoor.biz/archives/1709878.html


放射線は「甘く見過ぎず」「怖がりすぎず」http://synodos.livedoor.biz/archives/1710889.html


退避すべきかとどまるべきか」放射線被ばくを深く心配されている方々へ(2011年3月17日午後時点の情報を踏まえて) http://getnews.jp/archives/105218


 悲しくなるのは、こういう国民的不幸を利用して、「政府は情報を隠蔽している」などと根拠もなく不安を煽り、日銭を稼ごうとしている学者やジャーナリストが一部にいたことだ。学者やジャーリストが本質的に「他人の不幸で食べている」部分があるのは確かだが、自分たちで不幸な状況を悪化させて、それを利用して社会的・精神的に優位に立とうとする姿には唖然とするしかない。

 メディアは、今すぐ死者が出るというわけでもない、単にパニックと無意味な不安を増幅させるだけの原発事故をリアルタイムで逐一報道することを控えて欲しい。報道する場合も、あくまでどの程度の身体の危険性があるのか、ということを中心にして欲しい(今のところ30km圏外は「ほぼない」と考えてよさそうだという)。それよりも、今も着のみ着のままで救援を待っている瀕死の被災地を探しまわって報道し、行政や自衛隊などに情報を提供することのほうに、もっともっと人員や放送時間を割いて欲しいと思う。

(追記)

 この機に乗じて原発批判をする人もどうかと思うが、原発の必要性を再度強調する(主に経済系の)人にも、全く肯けないものを感じる。こういう人は明らかに、地方に原発のリスクを押し付けておいて、自分は安全な都会に住み続けることを、無邪気なまでに自明の前提としているからである。そこには、原子力で豊かな生活を一方的に享受していることに対して、何の葛藤も後ろめたさも感じられない*1

 原発肯定派は、自分の家の10km圏内に原発をつくるという計画が出たときに、本当にそれを素直に引き受ける心理的用意があるのだろうか。もし一瞬でも、「他のどこかにしてくれないかなあ」という気持ちが生じとしたら、その気持ちをきちんと重く受け止めていくべきだろう。自分が原発批判派以上に原発肯定・推進派が嫌いなのは、原発政策の是非そのものではなく、こういう誠実さがほとんど感じられないものがあまりに多いからである。

*1:こう言うと「原発で財政が潤っているじゃないか」と反論する馬鹿が必ず出てくるのだけど、だからそんなに素晴らしいものなら、自分の住んでいる場所に原発招致の運動でも起こしたらどうかと言いたくなる。