「愚民政治」とは何か

愚民政治から超民主主義へ


http://www.blwisdom.com/blog/shikano/archives/2009/12/post_205.html


それに比べると、旧政権を担ってきた自民党は、まるで変わっていなくてげんなりすることしきり。旧政権がみんなから嫌われた、最大の理由は、やっぱり愚民政策を取ってたって事につきると思うんだよね。


愚民政策とは何かというと、お上が全てうまい具合にやってやるから、おまえら愚民ども(国民)らは黙って従ってろってことね。
たとえば、イラク戦争ではアメリカが非を認めているのに、日本政府は認めないとかさ。自衛隊が行くところが安全だとかさ。
論理として成立しないようなことを公言してはばからない。おまえらバカにはわからんだろうけど、こうするのが良いんだよってって態度。


そこそこ賢い官僚にすべてを任せて、一部の利権団体に有利なように色々なことがされていたけど、その大半は国民に知らされることはなかった。


オレは自民党が否定されたのは、潜在的にこれにつきるとおもうな。
国民は愚民じゃないんだよ。あなたたちと同じくらいには賢いのよ

 
 これはマスメディア上で蔓延している、非常に通俗的な民主主義観を代表しているので、ここで批判しておきたい。

 この記事は「愚民政策」を「お上に黙って従わせること」だと理解しているが、それはあくまで一面に過ぎない。「愚民政策」というのは、政治家と官僚が、「国民はどうせ馬鹿だから説得できない」と諦めてしまうことなのであって、「お上に黙って従わせること」だけではなく、「政治家が民意に無条件に従う」ことも立派な「愚民政策」である。だから、ここでいわれている「超民主主義」というのも、「愚民政治」と何が違うのかがよくわらかない。

 例えば消費税の問題など、政治家や官僚が適切であると考えていた政策を、世論の反対が強いからといって、粘り強く有権者を説得しようとするのではなく、「国民の理解が得られないので」と言って簡単に撤回してしまうようなことが、まさに「愚民政策」なのである。本当に「愚民」視していないのなら、政治家たちは有権者と積極的に論争するくらいの姿勢があるべきであって、選挙や内閣支持率のためにそれを回避しているとしたら、有権者を権力獲得の道具くらいにしか思っていないことになる。

 その意味で「事業仕分け」というのは、まさに「愚民政策」の極致である。「行政には無駄が多すぎる」という世論に直接的に応えた、という以上の意味がまったく何もない政策だからである。民主主義というのは、そういうものでは断じてない。むしろ政治家は、そういう明らかに間違った世論と積極的に闘い、それによって国民が次第に財政や税制に対する適切な理解を獲得するようになることを愚直に目指すべきなのである。

 「国民の理解が得られない」から政策を実行しないといったような態度は、民主主義の実現ではなく、逆に民主主義を破壊するものである。さらにいえば、「国民の理解が得られない」としても、本当に正しいと思うなら、その政策は実行すべきなのである。重要なのは、政策決定プロセスに利害関係者を具体的に参加させて、議論と交渉を重ねていくことそれ自体なのであって、「国民の理解を得る」ことを自己目的化すべきではない。