反緊縮派の立場から

 「増税」を政治の争点にすべきではない、というのは1年以上前から繰り返し何度も書いてきたが、残念ながら野田政権の成立以降、「増税」めぐる政局や政策論争はますます強化されている。

 「増税派」には、増税によって財政健全化の道筋がつけば国債の信任も上昇して海外からの投資も活発化するという者もいれば、企業の法人税社会保険の負担を減して消費税に置き換えることで経済の活性化が図られるという者や、増税財源による社会保障の機能強化で需要が創出されると考える者などがいるが、本来が相互にほとんど相容れない主張である。今回の増税策は、一応「社会保障と税の一体改革」案を根拠にしているが、増税派の大半は社会保障の機能強化などにはあまり関心がなく、メディア上でも社会保障の専門家の存在感は極めて弱い*1

 「反増税派」も、まず公務員の人件費をはじめとする徹底した歳出削減が必要だとする者、民営化・規制緩和などで経済成長すれば増税は必要ないとする者、財政を少々悪化させても国債増発による公共投資を優先すべきとする者、法人税増税や累進所得税の強化を掲げる者など、その政策の理念と中身は増税派以上に分裂している。反増税派の基本にはデフレ不況下の税負担は需要を縮小させるという理解が(おそらくは)あるはずだが、彼らの大半は財政政策においては歳出削減を志向するものであり、金融緩和や財政出動に熱心なグループは依然として相対的に少数にとどまる*2

 増税派と反増税派の対立を、フランスやギリシアをはじめとした諸外国における「緊縮/反緊縮」の対立の日本ヴァージョンとして解説している人も多いが、似て非なるものであることは明らかである。先日のフランスの大統領選挙を見ても、諸外国の「緊縮/反緊縮」は、「保守/リベラル」「小さな政府/大きな政府」という大きな政策理念の対立軸と緩やかに重なっており、増税策は明らかにそのサブテーマの扱いでしかないが、日本では「増税」が前面に出ることで、それぞれが緊縮派と反緊縮派の呉越同舟という状態になっている。諸外国の反緊縮派は富裕層増税を主張していることが多いが、日本の反増税派では共産・社民などごく一部に過ぎず、むしろそうした政策を「社会主義的」と反発するであろう人たちも、少なからずいる。

 世論は今のところ「反増税」に傾いているが、それは「国民に負担を押し付ける前に身を切る努力が足りない」「税金の無駄遣いが放置されたまま」というものであって、それは明らかに「反緊縮」ではなく「緊縮」に親和的なものである。反増税派の政治家の多くも、そうした緊縮的な世論に同調する形で(というよりそうした世論を煽った当人である場合が多い)、民主党政権下の歳出拡大策を「バラマキ」と厳しく批判している。

 いずれにせよ、「増税反増税」の対立軸は、政治のさらなる混乱と政策の停滞を招くものでしかなく、こうした枠組みで政権や政党の政策論を整理したり評価したりすることは、一日も早く放棄されるべきである。小泉型の緊縮的構造改革を批判して「需要」「雇用」を掲げた菅直人が、財源を消費税に求めたために同じ「需要」を重視している反増税派からも総攻撃され、結果として緊縮財政派と連携するという顛末を想い起こしてもらえれば充分だが、「増税反増税」を争点化した選挙戦や政界再編は、どのような政策論的な立場をとるにせよ、人々が「こんなはずじゃなかったのに」と落胆する風景を生み出さざるを得ないだろう。

 さらに、増税派と反増税派は目の前の野田政権の増税策を受け入れるか否かという以外のまとまりが全くないので、政策的な妥協も調整も絶望的に難しくなっている。そのため多くの政治家は、現場での説得に汗をかくよりも、メディアで財政破綻の危機を喧伝したり、官僚の利権や陰謀を暴きたてたりなど、極端かつ扇情的な物言いを繰り返すことで、世論の「空気」を味方につけることに一生懸命になりがちである。こうした政治手法が、政治と行政に対する不信をより悪化させ、そうした不信につけこもうとする野心家を利するものでしかないことは明らかだろう。

 以上のように、今の「増税反増税」の過剰な争点化が続くことは、日本の政治における民主主義の機能不全をもたらし*3、そうした機能不全による政治と行政に対する不信が、財政や経済の状況をより深刻化させる危険性が高いと言わざるを得ない。「反緊縮派」の自分からすれば、政治もメディア・世論も緊縮派が優勢な中で、本来なら需要の喚起と雇用の創出という目的で、手段の違いを超えて連携しなければならないのだが、現在は目的を見失った手段の違いに基づく対立ばかりが目立ってしまっている。

(追記)

 例えば、反増税派が超党派で野田内閣の増税策を阻止できたとして、その後の政策論はどうなるだろうか。メディア上で見られる反増税派の主流の見解や世論感情に即していけば、「増税の前に無駄遣いの徹底した見直し」が明らかにトップ・プライオリティであり、金融政策に熱心なのはあくまで一部でしかない。民主党小沢グループがこだわる「マニフェスト」や、新規国債の発行、公共事業政策、TPPなどの問題では、完全に反増税派の内部で深刻な分裂を招くだろう。つまり、世論の支持が高い公務員人件費の削減はすぐに実行されるだろうが、その後に世論の理解や反応が弱い金融政策が実施されるかどうかは未知数で、おそらくは、その後のTPPなどの問題をめぐる対立で不可能になる可能性が高い。当然、その間にも福祉や教育の現場の苦境は財源不足でさらに深刻化し、結果としてデフレ不況の中でさらなる「民営化」が進んで、貧困者の自己負担はより増え、福祉の現場の労働環境は過当競争の中で悪化していくことになる。

 しかし、「反増税」ではなく「反緊縮」で連携することができれば、税や金融などいかなる手段を採用にするにしても、それが需要の創出に貢献するような工夫や配慮が一貫して行われることになる。「増税」を争点化すると、「財政再建」や「徹底した無駄削減」をプライオリティに置く形で社会保障改革や金融政策を進めざるを得ないが、「反緊縮」を前面に出すことができれば、社会保障の機能強化と需要・雇用の創出をきちんとトップ・プライオリティに位置づけることが可能になる。経済学者や社会保障の専門家からみれば、「邪道」と言いたくなる政策も採用されるかもしれないが、それは「反緊縮」と需要創出という政治的目標からみれば、あくまで二次的な問題に過ぎない。

 いずれにせよ、「反増税」ではなく「反緊縮」という言葉が、もっと日本でも広まることを望みたい。

*1:社会保障論者の中には、北欧モデルをそのまま日本にも適用しようとする無邪気な人もいないわけではないが、自分はもっと消極的な理由で、つまり増税を回避しつづけると、「財源がない」の言葉で沈黙させられている教育や福祉の現場が、さらに悲惨な状況に追い込まれてしまうことを懸念するからである。医療や介護など今でもギリギリの状態で運営している緊急性の高い分野を減らせないとすると、自ずと教育・育児・研究・労働など緊急性の低い若い世代向けの歳出がさらに圧迫されることになる。そうなると、例えば若者の貧困問題が一時的に注目されて予算がつけられたとしても、貧困の根っこにある教育や労働の環境はさらに悪化するという、マッチポンプに陥ることになる。国債発行の増額や所得税の累進強化を主張している政治勢力や経済・財政の専門家は、いたとしても少数で例外的であるため、どうしても消費税を前提にして財源の問題を考えせざるを得ない。

*2:反増税派には「経済成長による税収増」を掲げる人が多いが、そもそもこういう考え方は、政府の再分配政策を企業の収益を従業員に分配することと同一視するという、致命的な誤解がある。社会保障に対する予算を配分するには、税や公債などの財源上の根拠がなければ不可能なのであって、不確定性の強い経済成長による税収増を当てにすることはできない。税収増分は財政再建に回すべきであり、生存・生活の保障に関わる分野の財源は安定的な税負担を根拠にしなければならない。

*3:ここで言う「民主主義の機能不全」とは、有権者の大多数が、政権与党という形であれ、野党という形であれ、自らの政治理念や生活上の利害関心が国会や地方議会に代表されている、という実感を喪失している状態を指す。