再び反緊縮派の立場から

 「社会保障と税の一体改革」関連法案が衆議院を通過したが、「増税」をめぐって政局が大混乱に陥っている国は、おそらく日本だけではないだろうか。ギリシアでもフランスでもアメリカでも、争点になっているのは「緊縮」の是非であって増税ではなく、むしろ世界の反緊縮派は(経済学者も含めて)富裕層増税を掲げている。日本の「増税反増税」は「緊縮/反緊縮」と緩やかにすら対応するものではなく、「増税しないと財政破綻」と「増税の前にやるべきことがある」の対立にすぎない。それぞれにおいて優勢なのは、公務員人件費を筆頭とする歳出削減を志向する緊縮派であり、反緊縮派はその中の少数派に甘んじて(というより甘んじているという自覚すらなくて)、政治的な勢力としてはまさに「存在しない」状態になっている。

 野田政権のように「財政再建」の文脈を強く押し出す形の増税策は、つまりは国民に「我慢」を要求するということになり、そうなると官僚と国会議員に対する、「増税の前に身を切る努力をしたのか」という不満や不信の声を高めていくだけであろう。財政再建的な増税策は、景気に対する影響という以前の問題として、人々の税負担の不公平感に対してきわめてネガティヴな作用をもたらす危険性が高い。特に2年前は「増税しなくても無駄を削れば財源はある」と豪語していた政権による増税策なのだから尚更である。しかし、だからと言って増税に反対すべきだ、ということでは決してない。もし増税を回避すると、今でも財源不足で深刻な教育や福祉の現場における歳出削減の圧力がさらに強まることは、火を見るより明らかだからである*1。それは特に、緊急性の高い高齢者向けよりも、若者向けの支出がターゲットにならざるを得ず、教育や雇用の社会保障の不足は格差・貧困の再生産を悪化させることになることは容易に理解できる。

 このように、本当に不況や貧困の問題をなんとかしたいと思っている人なら、「増税」や「反増税」をタイトルに掲げた政策論がいかに無意味で危険か(さらに言えば福祉国家論者や経済学者の自己満足でしかないか)、ということが理解できなければならない。たとえば、脱デフレのための需要創出に関心のある人が「反増税」を前面に掲げてしまうことで、「負担を押し付ける前に無駄削減の努力を」「まずバラマキ政策をやめるべき」という、緊縮志向の反増税世論に埋没してしまう(実際そうなっていた)わけである。本当は少数派になってもよいから、「反緊縮」「需要喚起」を掛け声にしたほうが、本来の政策を世論に向けてよりアピールできたはずなのだが、そうした人はほぼ皆無であった*2

 個人的には、税率は社会保障費の水準に応じて自動的に決まる仕組みにして*3、政治の争点を増税ではなく社会保障給付の水準と中身をめぐるものにすべきだと考えるが、どうも下手に経済や財政を勉強している「頭のいい人」ほど、増税をめぐる不毛な政局の罠にはまってしまった傾向がある*4。しかし増税策が決まった以上は、反緊縮・需要創出という本来あるべき(はずの)主張が全面に出て、金融緩和・財政出動社会保障の機能強化が一体となった形の政策論が展開されることを望みたい。

 (追記)

 「反増税」派の議論を眺めていると、社会保障費の削減・抑制に賛成の人が意外に多い。彼らは資産を持っている高齢層をイメージしているのかもしれないが、社会保障費の削減というミッションを厳しく与えられた官僚や政治家がどうするかといえば、緊急性が低く政治的な抵抗も弱い現役世代向けの社会保障の削減という手段に出ることは、容易に想像できることである。2000年代前半の社会保障費の抑制を最も厳しく被ったのは、都心に高級マンションを買う高齢年金生活層では決してなく、看護師や介護士、シングルマザーそして障害者などであったことは、誰の目にも明らかである。増税策を批判しようとするあまり、こういう普通の想像力を働かせようともしない人たちには、本当に憤りを感じる。

 さらに、自民・公明が要求する公共投資に対しても否定的な人が多く、中には増税するならすべて債務の返還に回すべきと挑発する反増税論者もいる。消費税に比べて、社会保障と公共事業の削減は需要の冷え込みに影響を与えないという論理や実証的な根拠は専門家にまかせるしかないが、いずれにしても需要と雇用の創出に悪影響を与える可能性のある政策には総じて批判的に接するべき、という自分の反緊縮的な立場とは全く相容れないものである。

 あと逆進的な消費税は社会保障に不向きという意見が相変わらずあるが、何度も書いてきたように、(1)低所得者にも税負担の対価として福祉給付の権利があるという根拠を与える、(2)現代の社会・経済において徴収の効率性と安定性が高い、(3)逆進性があるとしても給付面で考慮すべき、という三つの観点から社会保障に適しているというのが自分の(という以上に社会保障論者にとっては割と当たり前の)主張である。特に自分が重視しているのは(1)で、人間に感情というものがあってそれを強制的に抑圧しない限り、垂直的な再分配に誰も不満を抱かないなどということは有り得ない。というより、再分配の問題を真面目に考えていれば、こういう議論に必ず突き当たって、消費税に反対するにしてももう少し深みのあるものになるはずなのだが、相変わらず視野狭窄で軽薄な批判しかないところを見ると、再分配の問題に対して今まで大して関心がなかったのだろう、としか言いようがない。

 最後に、「経済成長」なしに財政再建社会保障の機能強化もできるはずがない、ということは言わずもがなである。ここで「経済成長」を敢えて言わないのは、専門家に遠慮して素人談義を避けるというのもあるが、それを真正面から否定している人はさすがに見当たらないからである。

*1:当然ながら湯浅誠氏を筆頭に、若手の貧困・福祉の現場の人たちの議論も、政府による過度な干渉や規制を批判するものより、政府の公的な支援が不足していることを訴えるものが圧倒的多数である。増税が回避されると、こうした分野に新規の(かつ恒久性の高い)予算がつけられることはさらに絶望的になる。あるいは、「派遣村」のような運動でも起これば特定の分野の予算は増えるが、それは貧困関連の予算増が教育・研究の予算を圧迫したように、貧困解決のための予算獲得の運動が、他のセーフティネットを掘り崩して貧困の再生産に加担してしまうという皮肉な事態が起きてしまうわけである。

*2:あるいは、増税批判は世論をひきつけるための戦略だったのかもしれないが、明らかにそれは大失敗であり、むしろ「野田首相財務省のあやつり人形」などという、反増税派の品のない紋切り型の批判にウンザリして、「増税派のほうがまだ真面目に考えている」と判断した人も少なくなかったように思う。

*3:(追記)「社会保障社会保険料で賄う、という大原則に立ち戻ればいいだけ」という反応があったがhttp://twitter.com/adachiyasushi/status/217742812966420480、この手の(増税批判のネタとして使われている)社会保険方式論者の誤解は、従来の医療・年金・介護という、安定した雇用を前提とした、病気や高齢のリスクに対する社会保障社会保険が筋だとして、出産・育児・職業訓練といった、機会を均等化して労働市場への参加を橋渡しするための現役世代向けの社会保障は、不安定な雇用に対するリスクを前提としているため、社会保険方式を採用できないことである。実際、世界的な傾向として社会保障財源における社会保険の比重は緩やかに低下している。後者の社会保障の必要性が高くなっている以上、税財源による社会保障の高まりは絶対に避けられないと考える。

*4:消費税を財源とした財政出動を掲げた小野善康氏と、氏を罵倒気味に批判していた人たちなどがその典型である。