自分が単に馬鹿なだけなんだろうか

 まさに迷走による玉突き事故で渋滞解消のめども立っていないとしか言いようのない普天間問題だが、テレビやブログなどにおける、この問題についてのいろいろな人の意見を聞いていると、「鳩山首相は外交音痴で出来もしない約束をした。社民党は党利党略のことしか考えず、普天間問題を泥沼化して政権運営を停滞させた。結局沖縄県民の気持ちだけが置き去りにされた」という議論に集約することができる。

 自分は外交や政局のことについては正直大の苦手で全くの音痴であるので、これが間違いだというつもりは全くないし、たぶんその通りなのだろうとは思う。しかし、やはり腹が立つのは、こういう人は「やっぱり沖縄に米軍基地が集中していたほうがいい」と明らかに考えているにもかかわらず、「沖縄県民の感情を逆撫でした」などと、あたかも沖縄県民の気持ちをより理解しているのは自分だと言わんばかりの態度をとっていることである。鳩山首相社民党の「沖縄県民の気持ちを考えろ」という言い方も薄っぺらな感じで全く好きになれないのだが、外交の話になると「外交音痴」「アメリカに馬鹿にされている」と非難して、沖縄の抗議集会の映像が出てくると「首相は沖縄県民の気持ちを踏みにじった」などという態度をとる人たちに比べれば、明らかにまだ誠実であると思う*1

 個人的にこの問題に関する報道を眺めていて不思議なのは、ほとんどの人はこれを矛盾だとすら思っていないことなのである。それとも自分が単に馬鹿なだけで、この矛盾の背後にある深い真意や論理を理解できていないだけなのだろうか。誰か教えてほしい。

民主党発足時のツケが日米同盟を泥沼化させた=伊藤惇夫
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100413-00000302-chuokou-pol


首相の迷走でこじれた普天間

 さて、日本の命運を左右しかねない重要案件といえば、沖縄の米軍普天間基地移設問題であろう。

 私は今年の二月、奇妙な体験をした。講演で佐賀に出かけ、空港で帰りの飛行機を待っていた時のことだ。到着した飛行機から社民党の幹部が降りてきた。近くにいた新聞記者に尋ねると、「普天間基地の移設候補地として、佐賀に視察に来た」というから驚いた。

 首相が「結論を出す」と言った五月末まで、わずか数ヵ月。この時点で、佐賀を移転先として説得できる可能性を、わずかながらでも感じていたというのか。鳩山内閣普天間問題に対する認識がいかに甘く、その言動が極めて軽いものであることを、あらためて確認した思いだった。

 困ったことに、内閣の中でも、ある意味最も言動の軽いのが鳩山首相その人だったことにより、事態はこじれにこじれた。首相は、衆院選の最中から、「移転先は国外、最低でも県外」と言い続けた。一方、民主党内部には「日米合意がある以上、県外移設は難しい」という、現実的な理解をしている人たちもいた。彼らが中心となって党内調整した結果、民主党マニフェストから「県外移設」の文言は消え、「見直し」に修正されていたのである。

 にもかかわらず、首相はそのことの持つ意味を理解せず、政権の座についた後も、「県外」を主張。それは米国を苛立たせ、沖縄県民には過度な「期待」を抱かせる結果となった。

 鳩山内閣は、初めから米国の意思を見誤ったフシがある。「政権が交代したのだから、違った対応をしてくれるはず」「新政権の地盤を固める、時間的猶予をくれるだろう」−−。そうした“希望的観測”が、首相の軽率な発言の裏にあるように思えて仕方がない。

 外交とはそんなに甘いものではない。国同士で決めた約束を、政権が代わったからといって反古にされるなどということは、ありえないのだ。そんなことをすれば、国際社会からも相手にされなくなるだろう。

 さすがに事態の深刻化を懸念する声が高まり、民主党内では昨年、「年内・県内決着」で動かざるをえない、という共通認識が広まった。そこで異議を唱えたのが、連立を組む社民党だ。“離脱カード”までちらつかせ、県内移設に反対する社民党と妥協する道を、鳩山首相は選択する。問題はまた振り出しに戻り、現在に至っている。

 首相に次ぐ“戦犯”を挙げるとするならば、平野博文官房長官であろう。普天間問題の責任者に、防衛大臣外務大臣ではなく、この人を指名した鳩山首相の責任はここでも重いのだが、平野氏は外交や安全保障問題にかかわった経験のない、言葉は悪いが「素人」である。

 彼は、沖縄県民の気持ちを逆なでするような言動を繰り返している。一月に県内移転先の有力候補である名護市の市長選で、移設反対派が勝利した際、会見で「結果を斟酌しなければならない理由はない」と言い放った。

 最近では、わざわざ上京した高嶺善伸沖縄県議会議長が面談を求めたのに対し、「多忙」を理由に断っている。日米の懸案事項である普天間移設問題以上に重要な案件は、そうはないはずである。平野氏もまた、この問題の重さを理解せず、事態を混乱させる役割を担った。

*1:さらに言えば、地政学的に米軍基地は沖縄に集中すべきだ、沖縄の反基地運動は間違いだと言い放つ一部の保守論客のほうが、批判の矢を受ける覚悟があるという意味でまだ真摯なところがあると考える。

今の増税論には怖いものを感じる

 「太田総理」に勝間和代氏が出ていて、「十年間は消費税を上げない」という「暴論」を提起していた。この人は、別の場所では「法人税率を国際平均の30%程度まで下げる一方、消費税率を10〜15%まで引き上げる」べきだと主張しているので*1、相変わらずとんでもない人だなとは思った。もちろん、戦略的に立ち振る舞っているだけなのかもしれないが、いずれにしてもこの人の言っていることを真に受け取ることはできないことは確かである。

 ただ最近、世論が消費税増税を容認する空気に傾いているのは、正直怖いものを感じている。というのは、今の増税論支持が「財政が厳しいのだからみんな我慢すべきだ」という以上のものではないからである。税とは国民の生活を少しでも楽にするための資源分配の手段の一つであるはずなのに、「増税に応じないような『わがまま』はもはや許されない」という、人々に苦痛や忍耐を強いるような雰囲気の中で増税が支持されるようになっている。

 そうした世論が導く当然の結果として、社会保障は今よりも充実することなく、とくに若年層・現役世代の社会保障が著しく脆弱な構造が変わることなく、税負担だけが増えることになる。実際、増税論議で焦点となっているのは、医療・介護・年金の財源問題であって、教育・雇用・住宅などの問題はまるで出てこない。分配が増えない以上、当然景気は悪化するだろうし、若年層・現役世代だけの負担が一方的に増えて、世代間対立も激化してしまうことは避けられない。そしてもし、民主党政権が崩壊するような事態になり、「バラマキ」批判の財政再建論者が主導権を握るようなことになれば、この悪夢が現実化してしまうだろう。

 しかし、税による再分配で国民が生活の安心と安定を獲得でき、市場への信頼を再構築して経済成長を下支えすることにもなるという、標準的な「福祉国家」の論理が日本の国民に受け入れられる可能性もほとんどないように思われる。それは菅直人の「増税によって需要を喚起できる」という発言に対する、世論の一方的に否定的な反応を見ても明らかである。おそらく勝間氏もそれがよくわかっているので、素人相手には「福祉国家」的な主張を矛に収めているのだろう。

 しかし、自分はとてもそんな器用な立ち振る舞いはできないということもあるのだが、やはり根本的なところで間違っているのではないだろうか。馬鹿と思われても愚直に正論を言い続けるべきではないかと思うのだが、どうなんろうか。やはり自分が甘いのだろうか。