いまだによく理解できていない

 この数年「地方分権」や「地域主権」の話が盛んだが、自分はその国が地方分権的な体制を選択するかどうかは、その国の「国情」によるとしか言いようがないと考えている。ドイツや北欧、アメリカなどが地方分権的な体制であるのは、これらの国の歴史的な成り立ちを振り返れば理解可能である。こうした国は、領邦や教区、結社の伝統があったり、ボランティアやNPOが盛んであったりなど、地方分権体制を支える社会的な条件が存在している。それに対して、今の日本で「地域主権」を唱えている人たちは、それを支える基盤に何を想定しているだろうか。自分はさっぱりわからない。例えば、スウェーデン地方分権制度を賞賛する人は、「コミューン」と同等の機能を果たし得るものが、今の日本に見出すことができるとでも考えているのだろうか。

 そもそも、日本で語られる地方分権や「地域主権」というのは、「脱霞が関」以上の意味を持っていない。「地域主権」を唱える人は例外なく、まず「霞が関」と官僚に対する批判からはじまる。そして、どうして「地域主権」が進まないかと言えば、官僚が「利権」を手放したくないからという、小学生でも言えるくらいの理解ぐらいしか示さない。そこでは、今の地方にどういう困難や問題があり、それを解決するためには中央官僚の規制や指導が足かせになっているので分権化すべきだという、当り前の議論がほとんどない*1

 むしろ、公立病院の経営難、生活保護の水際作戦、多くの地方自治体の財政危機、大型CSの乱立(および乱撤退)による景観破壊など、小泉政権以来の地方分権改革と同時進行的に問題が悪化し、中央集権的な手法でないと解決困難と思われるような事例のほうを耳にすることが多い。しかし、それすら「官僚の抵抗で財源移譲が不徹底だから」などという、話にならない屁理屈で言い返す人が少なくない。最近、補助金の一括交付金化が話題だが、それは中央の政府にしか出来ないような事業が地方で困難になるということをも意味しているのだが、それは本当に地方の住民が望んでいることなのだろうか。

 特にテレビを見てて、一番腹が立つのは、古い町並みや特産品で「まちおこし」に成功した事例とか、あるいは徹底した歳出削減で財政の健全化を果たした一部の自治体の事例とかを取り上げて、「地域主権」を正当化する例が多いことである。それらは明らかに、かなり特殊な事例であり、これを現段階で全国の地方自治体が一斉に模倣したら、今のデフレ不況がさらに深刻化するだけだろう*2

 それ以前に、そもそもこういう事例に視聴者が共感するとしたら、それは「今まで自分たちの税金が地方への補助金や公共事業などに使われていたが、地方は自分でいくらでも頑張れるのだからそんな必要はない」というものだろう。おそらく、「地域主権」を支持させているのは、実際の地方で「地域主権」を求める運動が活発化しているからではもちろんなく、こういう大都市生活者のルサンチマンにあると考えるべきである。日本で語られる「地域主権」の内実は、中央官僚の「利権」「既得権」や地方に分配するための税負担に対するルサンチマンや忌避感情以上のものではない。

 長期的な視点では、「地方分権」「地域主権」に決して反対というわけではないのだが、現時点でそれを語っている勢力や世論には賛成できない。というより、どうしてそれがそんな天下の一大事みたいに語られているのかが、いまだによく理解できていない。総務大臣になった片山氏も、昔から聞いてて思うことだが、どうしてそんなに「地方分権」に熱心なのかの根本がよくわからない*3

片山総務相 「地域主権」へ歯車を回せ
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/200704

 ■民主党政権2年目■
 停滞した改革の歯車をもう一度回すには、相当の腕力が必要だ。
 改革を阻むものは何か。それをしっかり見極めた上で、必要とあらば荒療治も辞さない覚悟で失速気味の地域主権改革を再起動させてほしい。
 菅直人改造内閣片山善博氏が総務相に就任した。旧自治省(現総務省)の官僚OBで、鳥取県知事を2期8年務め、「改革派知事」として知られた。
 霞が関の実態に精通し、地方自治の現場で積んだ経験も豊富である。片山氏の総務相起用は、民主党政権が「一丁目一番地」と位置付ける地域主権改革に今度こそ本気で取り組む決意の表れだと前向きに理解したい。
 菅内閣は、6月に地域主権戦略大綱を閣議決定している。ひも付き補助金を一括交付金として地方へ渡す。二重行政の無駄が指摘される国の出先機関は原則廃止する。自治体の仕事を法令で縛る義務付け・枠付けは抜本的に見直す。そんな内容が盛り込まれた。
 当面する改革の絵図面は、一応出来上がっている。問題は、来年度予算編成とともに本格化するとみられる改革の進行で、既得権を失う中央省庁の抵抗と反発を封じ込め、「地域主権」の名にふさわしい権限と財源を国から地方へ移すことだ。実行の段階と言い換えてもいい。
 改革を骨抜きにする「抵抗勢力」は官僚だけではない。1年前の政権交代で官僚と手を組む「族議員」は消滅したはずなのに、民主党から省庁へ送り込まれた大臣・副大臣政務官の政務三役の中には役所の利益をあからさまに代弁する政治家も見られた。
 今度こそ、「政治主導」を有名無実化してはならない。地域主権改革はまさに、その試金石となるはずだ。
 片山氏は、歯に衣(きぬ)着せぬ言動でも知られる。地方自治体が地方債を発行する場合、総務省との協議が義務付けられていることなどをやり玉に挙げ、「頭から地方を信頼していない。地方分権の音頭を取る総務省が実は分権を阻んでいる」と、かみついたことがある。
 また、全国知事会など地方6団体を「総務省天下り団体」と批判し、地方側が要望する「国と地方の協議の場」の法制化に公然と異論を唱えたのも有名だ。
 片山総務相は就任後の記者会見で持論を封印し、「国と地方の協議の場」設置法案など継続審議中の地域主権改革関連3法案の成立に取り組むと表明した。
 閣僚として行政の継続性や他の政策とのバランス感覚も問われるだろう。その一方で、徹底的な情報公開と住民自治の原則にこだわり、分権改革をリードした「改革派」の本領は大切にしてほしい。
 片山氏を総務相に任命した菅首相の強力な後押しが、改革の成否を左右することは言うまでもない。

=2010/09/30付 西日本新聞朝刊=

*1:社会保障の分野でも「地域福祉」に熱心な人が少なくないが、正直なところ奇麗事の羅列としか言いようのないもので、読んでいて3行で眠くなってしまう。

*2:なぜか番組に同席しているエコノミストは指摘しないどころか賞賛するのだが。

*3:それ以前に、この人の議論には官僚陰謀論が多くてうんざりするのだが。