産業政策と社会主義

 将来の成長産業は決まっているではないか、介護や医療関係、あるいは自給率を高めることが期待される農業などである、というような論を展開する人がいるが、もしそう思うなら自分が起業して参入すればいいだけの話だろう。その場合参入障壁の問題は政府が決めているので規制緩和などの改革は必要だが、政府の役割はそこまでで、それ以上は民間の仕事である。少なくとも収益性を考えた事業として考える場合は、である。政府が事業方針を設定するというのは社会主義的な発想であり、その究極形態が共産主義だろう*2。このことを勘違いしているのか、政府が供給側に積極介入することは「改革」だと肯定し、需要側に介入することは社会主義的だと否定する人がいる。

http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20100418/1271554023

 ここにも書かれているように、もしおなじ10兆円を「国民全員に現金一律給付」するのと「環境産業に投資」するのと、どちらが「社会主義」的かといえば明らかに後者であることは、「社会主義」について少し真面目に考えたことのある人間であれば自明である。

 「社会主義」というのは、国内に資本主義市場と生産性の高い産業が未成熟であるため、企業家にかわって政府がリーダーシップをとって産業化を実現しなければならない、という考え方に基づいている。そうしないと、たちまち西欧列強の資本家が乗り込んで植民地になるしかなくなる、というのが20世紀半ばまでの発展途上国の強烈なリアリティであった。「社会主義」を「反成長」の意味で使っている人がたまにいるが、それはあくまで結果的なものであって、少なくとも統治者の意図としては、バリバリに「高度経済成長」を目指した思想であった。私は社会主義を思想・理念として全く好きになれないのだが、その現実の失敗を後から振り返って当然のように語る人たちを見ると*1、少し違うとは言いたくはなる。

 現在「社会主義」と呼ばれているのは、一言で言えば「負担なき分配」「労働なき所得」である。これを「社会主義」と呼ぶのは正確ではないにしても、言いたいこと自体は理解できないわけではない。日本で公共事業政治が必要以上に蔓延した理由はいろいろあるが、一つには高い税金をとって分厚い社会保障を整備するというよりも、「仕事を与えて働かせる」政策が、心情的・倫理的に好まれたということが大きいように思う。一言で言えば、「働かざるもの食うべからず」の観念である。

 「社会主義」のほうが「働かざるもの食うべからず」の社会であったことも、頭に入れておく必要がある。社会主義国はそもそも、資本主義ではないから「失業者」もいないという建前で成り立っており、「働いていない」とそのまま刑務所か、強制収容所か、そのまま野垂れ死にするかであった。社会主義国で否定されたのは成果給であって、労働倫理そのものは資本主義国以上に強力であった。

 産業政策が全く無意味なのかどうかは専門家に任せるしかないが*2、はっきりしているのは、それが「子供手当て」などと比べて心情的に支持されるのは、「働かざるもの食うべからず」という倫理観を背景にしていることである。「脱工業化」段階を経た先進国(だけではないが)では、「完全雇用」の社会はモデルとしても維持できなくなっている(むしろ経済的に非効率である)はずなのだが、なぜだかわからないが、日本では最近になってこの倫理観がかえって強まっているところがある。


 ちなみに医療や介護は基本的に政府による運営でなければならないが、それは膨大な低所得者・貧困者を相手にしなければならないからであり、産業政策云々とは関係がない。こうした人間の基本的な生存に関わる事業を「成長産業」にしてはならない。それは、たとえ経済成長に直接つながらなくても、そしてたとえマイナスになっても維持しなければならないからである。ときどき、こういう分野を民営化して効率化しろみたいな人が、同時に産業政策的なことも言ったりすることがあるのだが、まさに最悪としか言いようがないと思う。

*1:とくに学生時代に左翼だった世代の人ほど、「自分は目が覚めたが覚めてない馬鹿がまだいる」と考えがちなので、この傾向が強いように思う。

*2:とりえあず無意味だという議論のほうに説得力は感じる。