「討論」に参加する資格

「討論」の場合,その目的は討論相手の意見を変えることではない.目的は聴衆の方の意見を変えること.だから討論相手を叩きのめすのは必ずしも優れた討論とはいけない.説得すべきは「討論相手」ではなく「その討論を目にする前の反対派・中立派」なんじゃないかな.

http://twitter.com/iida_yasuyuki/status/13616941701


 これは、「討論の目的は討論相手の意見を変えることではない」という部分以外は正しくないと思う。私の考えでは、反対者と討論するのは、第一には自分の考えを深めるため、第二に自分の主張が反対者にどう映っているのかを理解し、反省していくためである。聴衆に対しては、こちらの言いたいことを理解してもらえれば十分であって、味方につけることを目的にすべきではない*1

 この論理でいくと、自分よりも明らかに知識やコミュニケーション能力が劣っている反対者を討論相手に指定して、多くの聴衆の前で論破して見せればよいということになる。そうすると、討論相手が「馬鹿に見える」ように舞台を演出すること自体が、討論の目的になってしまう。実際、マスメディアでは明らかにそういう戦略を採っていると思われるようなエコノミストもいる。飯田氏自身は、そういう下品なことは決してしない人であろうが、この発言はそのことを肯定する理屈になってしまっている。

 いずれにしても、自分の考えはひょっとしたら誤っているのではないか、あるいは自分の主張が世の中に無用な誤解や反感を引き起こしているのではないかといった、自らの正しさに対する懐疑や不安を持ちづけている人だけが、「討論」というものに参加する資格があると考える。

*1:それは討論ではなく政治や社会運動の領域である。