人生前半の社会保障

 日本では、若年者向けの社会保障がきわめて乏しい。日本は再分配政策の結果、格差が拡大しているという指摘もあるが*1、その根本的な理由は既存の社会保障制度が依然として、医療・年金・介護といった高齢層のみを対象にしているということにある*2。どうして「人生前半の社会保障」(広井良典)がここまで弱いのか。その理由は、日本における家族規範と企業組織の特性に求められる。周知の議論かもしれないが、あらためてまとめておきたい。


(1)家族福祉
 福祉国家論者はなぜかあまり語らない(逆に反福祉の保守派が強調してきた)のだが、西欧・北欧で福祉国家が発達した背景の一つには、それが個人主義的な社会であるということが大きい。西欧・北欧の社会では、二十歳を過ぎて親と同居していることは、基本的にあり得ない*3。そういう、家族が社会福祉の役割を放棄している社会では、若年者の失業問題を放置していれば、そのままホームレスとなり、治安の悪化をもたらし、下手すると暴動にまで発展してしまう。それに対して、日本では若者が就職に失敗しても、まず家族が抱え込むことが普通であった(少なくともそう思われていた)ため、若年層の失業率が悪化しても問題がなかなか表面化しにくいという事情があった。

(2)企業内OJT
 日本では多くの高校や大学は職業訓練の機能を果たしておらず、大学生活の後半になって一斉に就職活動に入るというパターンが一般的である。日本に特有の「就活」現象というのは、仕事に必要な技能は就職してから身につけるものであるという、企業内のOJTが充実し、その後の雇用保証も盤石であるというシステムを背景にしている。そのように、職業訓練は就職してからでもよいという考え方が一般化したことは、企業外部の公的な失業保険や職業訓練の充実を妨げる結果になった。むしろ自民党政権下においては、さまざまな規制や補助金の投入、そして公共事業政策などによって、雇用そのものの維持や増加を図る政策が選好されてきた。2008年の金融危機以降に適用範囲が大幅に拡大された、雇用調整助成金もその文脈で理解することができる。

(3)「構造改革」の矛盾
 90年代以降の「構造改革」路線の根本的な問題は、「市場原理主義」などといったものでは断じてなく、こうした国民のなかにあった家族福祉と企業内OJTへのイメージや期待と癒着しながら進められたことにあると言える。つまり、職業訓練の充実よりも規制緩和で雇用を増やし、雇用が確保できれば後はそれで家族を養うことができる、というわけである。「構造改革」路線は、当初の政策担当者の理念や目標はともかくとして、実際には家族福祉と企業内OJTに(現実というよりも日本社会に対するそういう自画像に)大きく依存して進められたものであった。雇用の量が増えればとりあえず問題は解決という理解に基づいていたため、規制緩和によって雇用の流動化を進めながら、その前提条件となるべき職業訓練・職業紹介や失業給付といったセーフティネットの構築は後回しにされてしまった。この矛盾が、2000年代半ば以降に大きく露呈するようになったことは周知のとおりである。


 最近、「事業仕分け」による「無駄の削減」に限界があることが理解されるようになって、急速に増税論議が盛り上がるようになっているが、増税する場合にまず重点を置くべきは若年層・現役世代向けの再分配である。繰り返すように、年金問題とは年金制度そのものに問題があるというよりも、若い世代に年金を払うだけの安定した雇用・所得がないこと、そして育児や教育にかかるコストが高すぎるために少子化が進むという問題が根底にある*4だから、高齢者の福祉の問題を解決したいのであれば、教育・住宅・育児・雇用といった若年層・現役世代向けの社会保障を分厚くすることが先決である。医療や介護にしても、問題の大部分はサービスの水準が劣悪であるということではなく、現場の医師や介護士の労働条件が厳しすぎて退職者が跡を絶たないということにあるのであって、それは医療・介護の問題というよりも第一義的には労働問題である。増税しなくても歳出削減と成長戦略で大丈夫と言わんばかりの人たちはもとよりナンセンスだが、「福祉目的であれば有権者も納得する」という増税論者についても、「福祉目的」が医療・年金・介護だけを指しているとしたらあまり賛同できない。

*1:http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/667.html

*2:国民所得比に占める医療・年金以外の「福祉その他」の割合は4.66%で、そもそも「福祉国家」以前であるアメリカを除くと、他の国は軒並み10%を超えている。しかも日本は、「その他福祉」の3分の1が介護を占めている。http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/09/03.html http://www.env.go.jp/policy/info/ult_vision/com05/ext02-2.pdfも参考。

*3:2005年の調査だと、未婚の子供との同居率は、日本が20.1%なのに対して、アメリカは12.4%、ドイツ6.6%、フランス8.3%となっている。韓国は18.1%で日本に近い水準である。とくに日本は微増傾向にあるのが特徴である。http://www8.cao.go.jp/kourei/ishiki/h17_kiso/19html/2-1kihonzokusei.html

*4:家族・子供向けの支出と出生率には緩やかな相関がある。これに教育支出を加えればもっともっとはっきりするものと思われる。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1580.html