全共闘とブラック企業
全共闘、港湾労働、そして牛丼
小川社長インタビュー[1]発想の原点「資本主義のもとで貧困をなくす」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100917/216295/
前にネット上で批判された「餃子の王将」の研修風景が、全共闘の「自己批判」大会と酷似していると思ったのは自分だけではないはずだと思う。少しでも動機に「不純」があれば徹底的に否定する、というか大衆の面前で自己否定させる。安定した組織や制度に依りかかっている生きることを徹底的に軽蔑する。こういう点で、全共闘とブラック企業の経営者たちは、まさに瓜二つである。
自分はかつて「社会主義」を論理的という以前に生理的に毛嫌いしていたのだが、市場主義的な規制緩和の最前線で、「働くことは賃金には代えがたいもの」と言って低賃金を正当化する社会主義的な物言いが蔓延するようになってから、こういう風景を問題視しようとせず、「日本人は競争が足りない」と説教する規制緩和論者を生理的に毛嫌いするようになった。表面的には「転向」だが、自分のなかでは非常に一貫している。
全共闘世代で研究者の道に進んだ人にも問題がある。表面的には「資本主義」を批判する左翼であるが、我々は差別や偏見を再生産する構造に縛られている、国家のイデオロギー装置のなかで生きる自由を奪われている、そうした社会の構造に疑問をもって常に抗っていかなければならない、といったテンションは、やはり「ブラック企業」の経営者に通じるところがある。人間の意識・精神のあり方や、社会構造そのものを根本的に変えていかなければ、いい社会は生まれることは決してない、というそういうテンションである。
言うまでもなく、これは2000年代の「構造改革」論の基調に存在していたものであり、まさに猪瀬直樹氏などは全共闘と「構造改革」のストレートな結合の象徴である*1。「構造改革」という言葉そのものは陳腐化してしまったが、「まず税金の無駄遣いを出し切れ!」という「構造改革」主義的な物言いは強固に残っている。
その点、経済学のいいところは、「普通に金融政策や再分配政策で対処すればいいじゃないか」とクールに言い切ってくれるところだろう。だらこそ、少なからぬ経済学者がゴリゴリの「構造改革」論者と共同歩調をとっている現状は、いまひとつ理解できないところであるのだが。