福祉と経済成長

 福祉は経済成長を阻害するかのような一部の暴論はともかく、「経済成長があってこその福祉」という言い方はより一般的にあるが、いずれにしても福祉と経済成長をトレードオフにしている点で適切なものではない。

 失業保険や職業訓練などの現役労働者向けの福祉が経済成長に寄与する理由は大きく二つある。一つは、低賃金で利益を得ている、生産性の低い産業を安楽死させること、もう一つは、生産性の低い企業・産業に労働者が生活のためにしがみつくことなく、より生産性の高い企業・産業への労働力の移動を可能にすることである。年金制度も、高齢者を労働市場からいち早く退出させて、よりバイタリティのある若い世代に雇用を回していくと言う意味がある。

 これを特殊な「北欧モデル」と理解している人もいるかもしれないが、自分の理解では失業保険や職業訓練といった社会保障制度は、元来そういう機能を期待されていたし、またそのように機能してきたと考えている。いま福祉国家論者というと、金持ちが貧しい人のために負担しろみたいなイメージになってしまっているが、一昔前はそういう人は「社会主義」を信奉していたのであって、元々の福祉国家論はあくまで市場原理と資本主義の効率性をより高めるための方法論の一つであった*1

 「雇用の流動化」の必要性が叫ばれているが、自分の乏しい経済学の理解でも、不況で失業率が高い状況で雇用を流動化すれば、失業問題や就活戦線の厳しさがさらに悪化するだけである。また、充実した失業給付や職業訓練の伴わない雇用の流動化は、安定正社員層が自らの生活給を守るために、今まで以上に必死になるだけだろう。雇用の流動化が、失業のリスクを社会全体で共有しようというコンセンサスの下で行われるならともかく、「公務員や正社員の既得権にあぐらをかいてけしからん」というルサンチマンの下で行われるとしたら問題である。

 福祉国家の問題として、「バラマキで働かなくなる」と思っている人が依然として多いが、それは端的に誤解である。むしろ問題は、重度の障害者や「ひきこもり」と呼ばれるような人など、そもそも働く能力や意欲を将来的にも期待できない人たちについては、残余主義的な対応しかできないことにある。実際北欧諸国は、そういう人たちに対しては必ずしも優しい社会ではないとも聞いている*2。移民排斥も、外国人への差別・偏見と言うよりも、「大して働かずに福祉を受けている」という点にある。

 経済学的な論理でに福祉を正当化しようという議論もあるが、やはりどこかで限界がある。すくなくとも、いわゆる「反=経済学」というか、主流派経済学の人から見れば「使えない経済学」になってしまう。福祉の専門家が非生産的な「市場原理主義」批判を行ったり*3、経済の専門家が社会保障分野の民営化を主張する異端の議論を無闇に持ち上げたりとかが目立つが、もっと健全な棲み分けができないものかと思う。

*1:異論はあるだろうが、そう理解すべきだと考えている。

*2:もちろん日本はそれ以上に優しくないが。

*3:少なくとも、「市場原理主義」という言葉を平然と使っている時点で、経済学系の人が真面目に読まなくなるということは、ちゃんと意識すべき。