同じことしか書いていないが

 いつも同じことしか書いていないが、国民の基本的生存に関する部分は政府が引き受けるべきであり、精神的な満足や快楽追及に関する部分は民間にゆだねるべきである。ところが日本では、民間に福祉を委ねておきながら「貧しい人たちを食い物にしている」と非難する一方で、返す刀で「採算の取れない事業は無駄だ」と政府を非難する。当たり前だが、「顧客を食い物」にしなければ民間企業としての利益は望めないし、「採算が取れない」からこそ政府がやっているわけで、「採算が取れる」のであれば、それは政府ではなく民間がやるべき事業ということになる(もちろん事業の性質にもよるが)。

 財政赤字地方自治体が人員削減や地場産業の発掘で再建しつつある、というテレビのレポートをよく見るが、レポートが偏っているという以前の問題として、そもそも民間企業の再建の手法を行政に適用するのは適切なのか、という基本的なことすら誰も突っ込もうとしない。政府と民間は役割がきちんと区別されることで、それぞれ効率的に運営されるものであるはずなのに、なぜか今の日本では政府が「成長産業」に積極的に投資しろという意見があるかと思えば、国民の基本的な生存にかかわるインフラや制度を「無駄があるから民間に任せるべき」といった主張がなされている。言うまでもないが、「無駄がある」ことと「民間に委ねるべき」かどうかは、基本的に別次元の問題である。

 自分が当面「大きな政府」を主張するのは、世界的に見て公務員が少なく国民負担率が低い日本において、介護・育児・貧困・職業訓練などの負担を家族や民間企業に委ねていることによって、家族(特に女性)が疲弊し、劣悪な労働環境の背景となり、民間企業の活力や信頼をも損ねていると考えるからである。小野善康氏を「政府は信頼できるのに国民は信頼できないのか!」と非難していた人が典型的だが*1、現前の介護や貧困、過労などの問題に真摯に向き合うことなく、政府(あるいは市場)が好きとか嫌いとか、信頼できるとかできないとか、そういう次元でしか物を語れない人が相変わらず多すぎる。

*1:自分は別の理由で、小野氏の「増税で雇用を創出しデフレを止めて経済成長」論には必ずしも納得していない。