前々回の追記

 前々回の追記として。

 少なくとも、現在の失業・過労・貧困・貧困ビジネス・介護心中・孤独死などなどの問題をどう解決するかという視点に立てば、公務員を減らすべきだなどという結論には絶対にならないはず、というのが今の自分の考えである。

 繰り返すように、市場経済が生活の隅々にまで行き渡っている社会で、公共部門の従業員が少なくてやっているわけがないのである。それは、教育や福祉などの「儲からない」上にコストも莫大な業務を、無理やり家族や民間企業の負担に委ねることでしか可能ではない。事実、まさに今の日本がそれであり、そのことが市場の歪みと家族への過剰な負担をもたらしていると考えられる。

 繰り返すように、官僚の利権・不祥事の話と、公務員の人員を削減すべきかどうかという話とは、全く何の関係もない話である。利権・不祥事の問題があろうと、公務員の人員増で過労・貧困の問題が緩和されるならそれは絶対にやるべきであり、逆に言うといかに行政がクリーンに運営されていようと、減らすときは減らさなければならない。ところが今の日本では、この単純な話がまったく通用せず、「国民の生活は苦しいのにお役人たちは恵まれている」といった、「お上は民と辛苦を共にすべき」かのような前近代的な政治観が、皮肉にも「古い政治からの脱却」を呼号する人によって大声で語られている。

 与党から野党に至るまで、過剰敬語で「公務員を削減しなければ国民の皆様方に納得していただけない」などと言っているのだが、本当に不思議だが、「納得」を得ようとしている「国民の皆様方」が一体どこにいるのだろうか。国民が本当に望んでいるのは生活の余裕と安心であって、余裕・安心がないから公務員へのルサンチマンが生まれている(要するに疑似問題)にすぎない。つまるところ、いまの政治家は、余裕・安心をもたらす経済政策や社会政策といった、それなりの労力を要する問題に汗をかく前に、公務員の人件費といった、何の根本的な問題解決にもならないが、少ない労力で世論の支持をいち早く得やすい疑似問題に飛びついてしまっているわけである。

 あるいは、自分の頭のほうがおかしく、空気の読めない時代錯誤の人間なのかもしれない。最近、自分の考えていることに自信がない。