まだ時期尚早

 今回の震災で、公務員の役割やインフラ整備の重要性など、「大きな政府」に風が向くことを期待している人もいるようだ。自分は以前から、今の日本では目の前の経済成長が若干減速してでも国民全体の負担を減らすために「大きな政府」を目指すべきだというくらいの意見の持ち主だが、果たしてどうなのかなという疑問はある。

 「大きな政府」と「小さな政府」の分かれ目の一つは、前者が全ての国民が失業したり障害をもったりするリスクを抱えていることを前提として、全国民が等しく社会保障の負担と給付に参加・関与するような仕組みをつくるのに対して、後者はあくまで福祉は例外的な給付であり、それはやむ得ない理由による「恵まれない人」だけが享受すべきものであると考える点にある。

 だからミクロな部分だけを見ると、「小さな政府」の国民のほうが「恵まれない人」を救うためのボランティアや慈善活動に熱心だったりするので、弱者に優しいのではないかと思われるところもある。「小さな政府」が弱者に厳しいというのは、「恵まれない人」の範疇の少しでも外にいる人たちに対しては、ほとんど何の保障もなく自己責任で放り出されることにある。

 今回の震災をめぐる救済の問題は、政府の分配の対象は明らにやむなき理由による「恵まれない人」であるから、どちらかというと「小さな政府」に親和的な要素もある。実際、子ども手当ての予算が今回の震災のためになくなりそうだが、全国民向けの普遍的な給付から一部の(といっても潜在的な人も含めてかなりの人数だが)「恵まれない人」への財源の移転は、「小さな政府」への方向性とも言えそうである。

 公務員の献身的な働きに対する評価も個人的には微妙で、「仕事は暇なくせに身分が保証されている」的な批判が逆転しているというより、地続きなものと理解することもできるような気がする。これは今後の選挙の行方を見なければというところだが、今回の震災の財政支出による財政悪化が予想されることを考えると、個人的には公務員削減の世論は逆転しないような気がする。

 いずれにしても、現在はまだ「大きな政府」か「小さな政府」かを議論する以前の非常事態にある。少なくとも、今回の震災で「大きな政府」を正当化する方向の議論をするのは、やはり個人的には避けたいというか、まだ時期尚早であるという気持ちが強い。