開き直る以外にどうしようもない

 原発事故の報道を眺めていると、問題の解決よりも混乱を招くような批判がある。在野のジャーナリストはともかく、大手マスコミのほうにも目立っているのが残念である。


(1)「情報を隠している」という批判 
 「情報を隠している」というなら、隠しているという根拠をしっかりと提示して、そしてそれにかわる「正しい情報」を提供してほしい。大手メディアには原発問題を専門に報道してきた人もいるはずだが、どうして情報を「おねだり」するばかりなのだろうか。記者会見で、保安員や東電に答えにくい質問をぶつけて困惑させても、専門家の信頼を貶めて不安を増幅させ、デマや風評を広めることに貢献するだけだろう(もちろんマスメディアはそのことで得をする業界ではある)。自分が今回失望したのは東電ではなく、プルトニウムを即時に測定する機器がそもそも世の中に存在しないという基本的事実すら調べようともせず、「情報を隠している」とわめき散らす大手マスメディアの情報能力だった*1


(2)「こうすればよかったのに」という批判
 これは「後出しじゃんけん」というだけではなく、果たして危険性を粘り強く指摘してこなかった大手メディアにも責任がないのか疑問に感じる。テレビや新聞は、原発の災害対策について、少なくとも自分のような素人の耳にもはいるように、特集を組んだりして啓発につとめてきたのだろうか。世論が盛り上がってこなかった以上、政府や東電が災害対策に鈍感になってしまうのは、ある意味当然のことである。批判する権利があるのは、この10数年「反原発」が急激に停滞してきた中で、孤独に危険性を指摘してきた共産党や一部の専門家ぐらいだろうと思う。
  
(3)「利権」「癒着」が事故の背景にあるという批判
 「利権」「癒着」自体は、あるのかないのかと言えば、それは「ある」だろうと思う。しかし常識的に言って、原子力のように多大な政府の予算が投入される分野の「利権」「癒着」なんていうのは、探そうと思えばどこにもでもあると考えたほうがいい。つまり、問題があるところ全てこれで説明できる。ということは、何の説明にもなっていない、ということである。少なくとも、現前の原発事故問題の前進にとって何の意味があるのか、よくわからない批判である。
 「利権」「癒着」の批判はあくまで「民主主義」の観点から重要なのであって、「民主主義」が正しい政策を導くわけでは必ずしもないのと同じ意味で、「利権」「癒着」批判がよりよい原発政策を導くかどうかは微妙に別次元の話である。「第三者機関を入れたほうがいい」という意見は、それ自体は別に反対というわけではないけど、「事業仕分け」のように、科学技術の素人が科学技術の予算にあれこれと難癖をつけるような事態なってしまえば、問題の解決からますます遠ざかるだけだろう。


 とりあえず個人的には、「直ちに健康に影響するものではない」という政府と保安員の発表を覆すような、専門家による科学的に根拠のありそうな話はないようなので、それをひとまず信じる以外にないと開き直ることにしている。というか、開き直る以外にどうしようもない。

 個人的には、今回の原発事故がもたらした最も大きな問題は、これに報道の量と時間が大幅にとられてしまい、少なからず被災者の救援・支援を阻害した可能性である。特に福島原発近隣の自治体は、津波から逃れて九死に一生を得ながら、救助隊が入れなくて亡くなったという人が少なからずいるだろうと思うと、本当にやりきれなくなる。

(追記)

 一部の経済系の人が原発を懸命に擁護しているけど、いざ事故が起こった時に兆単位の巨大なコストがかかることが白日にさらされた現状では、結局のところ少なくとも長期的には経済的にペイしないという議論のほうが説得力があるように思える。それに、たとえ事故が一切起こらなくても、放射性廃棄物の処理や周辺自治体への補助金などで、結局は火力よりもコストがかかると言う人もいる。既存施設の老朽化が進めば、維持・管理のコストは時代とともに高まっていくだろう。それにあらためて知ったことだが、現場の作業員は通常業務をこなしているだけでも、かなり高い健康リスクを背負っているそうである(それまでも原発関係者に「白血病で死ぬ人が多い」という不確かな噂はよく耳にしたが)。そうだとすると、原発推進の正当性は「CO2の削減」という非経済的な理由ぐらいしか、もはや思いつかない*2

 自分も恥ずかしながら、震災前までほとんど原発問題に関心がなかったので無責任なことは言えないけど、擁護派の議論は能天気な経済効率性の(それ自体が自明なのか疑義のある)論理に基づくものでなければ、反原発派の「きれいごと」を揶揄・嘲笑するものばかりで(確かに揶揄したくなるものはある)、およそ説得力に欠けているように思う。あるとすれば、すでに原発に電力を依存している現実を否定してもしょうがないということくらいだが、こういう現実的な考え方はさすがに反原発派の中にもある。今のような逆風だからこそ擁護派には真っ当な議論を期待したいのだが、いろいろ見聞きしていると、底が見えてしまったのかなという気はする。

*1:実際に「アエラ」の編集長が興奮した口調で語っていたのを聞いた。

*2:ちなみに原子力の専門家が原発を擁護するのは職業柄当然というか仕方ないと思う。