研究者はつねに素人からの横槍にさらされるべき

 個人的には、ひそかにネット上で最も勉強させていただいている方の一人のツイートであるが、非常に共感したので備忘録としてここに貼っておきたい。ちなみに抄録である。

分野によるが事実認識では素人や当事者が専門家より正確なことも多い。専門家の知識の偏りは大きいRT @naokimed: 自分の専門を持っている研究者にケンカを売ったり批判したりしている人をツィッター上で結構見かけるけど、(中略)ふつうは勝ち目がないし、争えば争うほど自分が恥をかく

http://twitter.com/#!/dojin_tw/status/79807704067084288

例えば社会保障研究する経済学者は社会保障財政には詳しいが目の前の高齢者や障害者がどの程度の介護・介助を必要とするかはわからないRT @naokimed: 専門を持っている研究者にケンカを売ったり批判したりしている人をツィッター上で結構見かけるけど(中略)ふつうは勝ち目がないし、

http://twitter.com/#!/dojin_tw/status/79811409109729281

承前:そしてそれに個々人がサポートされつつ翻弄される時代には、ごく狭い専門を持ってる研究者はつねに素人や当事者から横槍の批判にさらされるべき。そういうノイズ含んだ批判にさらされないこと、さらされてもスルーできちゃうことがむしろ研究者の弱みかと自分は思う。@naokimed

http://twitter.com/#!/dojin_tw/status/79816487321346048

承前:もちろん、研究者がノイズ含んだ批判や圧力からフリーでいられることは、自由に研究をする上で重要な条件でもあるからやっかい。研究者を変なノイズ・批判・圧力から守るということは、一方で、研究者を「現実を知らない」ナイーブな人種に育て上げることと表裏一体でもある。@naokimed

http://twitter.com/#!/dojin_tw/status/79817696270757888

承前:そのあたりのバランスの難しさ・複雑さの分析は「専門家に議論ふっかけても勝ちないし恥をかく」と一蹴することなく、それこそ社会学的な分析が(他のどの社会科学よりも)有効な領域の一つではないか。専門分化の波に乗りまくりの経済学でも不可能ではないがやや難しい。@naokimed

http://twitter.com/#!/dojin_tw/status/79819107905708032

専門家の世界のルールに従った特定の「思考」と「議論」の場に素人や当事者が赴いて参戦という話ならばそうでしょうが、それは一般的なケースでしょうか。RT @naokimed 専門的知識の量の問題だけでなく、思考と議論の技術が研究者は特段に高いということです。

http://twitter.com/#!/dojin_tw/status/79882576998825984

従って専門的訓練を積んだ学者が「思考と議論の技術が研究者は特段に高い」というのはあくまで彼らの(我々の)局所的な専門家ルールが成り立つ場の中だけの話であり、その外部(ツイッターも外部ですが)への一般化は難しいのではないでしょうか。@naokimed 

http://twitter.com/#!/dojin_tw/status/79885349437972480

 専門家の素人に対する応答が、自分たちの「学問ルール」に乗ってこないこと自体への不満や苛立ちといった、下手すると「日本社会に溶け込もうとしない外国人」への排外主義と似たり寄ったりの空気になってしまうことは、自分も嫌になるくらい目にしている現象である。今回、原子力工学という純理系の学問ですら(だからこそ?)、この澱んだ空気で充満していることがあらためて目の当たりになった。

 ただ、「社会学」がその隙間を埋める役割を果たすのかは、その役割を果たすと意気込んで(傍目には明らかに)失敗している社会学者を見ているので、正直なところ大いに疑問のところがある。社会学は経済学ほど素人からの反感を買う場面が多くないというだけで、やはり独特の学問的排外主義がある気はする。