日本の首相が頻繁に交替する理由

<中国人が見た日本>なぜ日本は首相がコロコロ代わっても安定が保たれているのか?

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菅直人首相が26日、正式に退陣を表明、新しい首相が30日に誕生する。この10年、日本の首相が走馬灯のように頻繁に代わることはもはや日常茶飯事になっている。誰もが認める強硬派、小泉純一郎氏の在任5年を除き、他はみな短命に終わった。ところが、驚くべきことに日本は「首相がコロコロ代わる」という頑固な病を露呈したにも関わらず、社会の安定は全く変わらない。政府の運営にもさほど大きな影響はないようである。


第2次世界大戦以降、先進国の中でリーダーの任期が最も短いのは日本だ。首相の平均任期は26カ月。これに対し、ドイツは88カ月だ。戦後、日本は少なくとも31回首相が代わった。だが、米国、英国、フランス、ドイツは少ない国で8回、多い国でも13回に過ぎない。日本は経済、文化、科学技術で抜きんでており、世界中から注目を浴びているが、政治だけはどうも「しょぼい」という感覚が拭えない。


日本はなぜ首相がこれほど頻繁に代わっても、経済や社会に大きな影響がないのか。それは、体制が国を治めているからで、人が国を治めているわけではないからだ。重大な政策や方針はほぼ固まっており、合理的な制度や健全な政治体制も整っている。制度が成熟した国はたとえ「無人運転」でも、社会の秩序は保たれるのである。

 体制が安定しているからこそ指導者が頻繁に替わるという視点は面白い。これは、体制が潜在的に不安定だからこそ強力な指導者の「人治」を必要とする、中国人ならではの視点だろう。自分も、政局の混乱が直接社会経済に深刻な影響を与えているわけではないので、頻繁な首相交替自体は特に問題だとは思っていない。しかし、中国の指導者のように、油断すると群衆暴動が起きるという緊張関係の中で政治を行っている国は、さすがに世界の多数ではないだろう。他の先進諸国も体制はおおむね安定しており、その中で1年前後で国の指導者が交替している国が日本だけなのは何故なのかについては、日本の政治を理解する上で考えてみる価値のある現象である。

 日本の首相が頻繁に交替する理由は、直接的には、よく指摘されるように「ねじれ国会」である。安倍政権以降の自民党の首相交替も、2007年の参議院選挙の大敗に端を発する「ねじれ国会」が原因だった。しかしより重要なことは、2009年8月の総選挙で民主党は圧倒的な勝利をおさめたが、それから翌年7月の参院選では大惨敗を喫したように、「ねじれ国会」を生み出している原因となっている、日本における政党支持の流動性の高さである。政権を獲得した総選挙から1年足らずの間に、実に民主党比例代表では1500万票を失っている。よく小選挙区制度を原因とする解説が見られるが、単純な得票数自体もかなり変動していることは一目瞭然である。

民主党の選挙得票数の推移(按分票は省略)


2005年衆院 比例24,804,786(36.04%)  小選21,036,425(31.02%) 
2007年参院 比例23,256,247(39.48%) 小選24,006,817(40.45%)  
2009年衆院 比例33,475,334(47.43%) 小選29,844,799(42.41%)
2010年参院 比例18,450,139(31.56%) 小選22,756,000(38.97%)

 考えてみれば、このように選挙ごとに支持政党をコロコロ変えるという日本の有権者の態度は、決して褒められたものではない。特に鳩山も菅も、10年以上にわたって民主党の指導的地位にあって、マスコミへの露出も頻繁で国民の認知度も高い政治家であり、その人間性指導力を知る機会はありすぎるほどあったのだから、首相になった彼らの「リーダーシップ」をあれこれと論難するのは無責任としか言いようがない。

 だが、民主党が全身全霊をかけて支持すべき価値や能力のある政党であるのかと言えば、それははっきり否定せざるを得ないだろう。アメリカの民主党の党員数が7200万(2004年)、韓国の民主党が164万(2008年)なのに対して、日本の民主党衆議院の多数を占める政権与党なのにも関わらず、26万人を超える程度しかいない。自民党の87万人や公明党の42万人よりもはるかに少なく、少数政党である共産党とほぼ同じ程度である。要するに民主党は、一部の大企業労組を除くと、支持層が安定的な形で組織化されていない。

 それだけではなく、民主党は党の綱領を作成していないように、政治的に何を目指している政党なのかを明確にしていない。例えばイギリスの労働党は、党員数自体は決して多いわけではないが(40万人ほど)、まだ政党が脆弱だった戦前から「揺りかごから墓場まで」「ナショナルミニマム」を一貫して掲げてきたように、労働組合を基盤として社会保障や再分配を重視する「大きな政府」を代表する政党であることは、誰の目にも疑いようがない。それに対して民主党政権は、この2年あまりを見ただけでも、どの方向を向いている政党なのかが全く判然としないし、この1年弱の菅首相と小沢・鳩山両氏との路線対立は、どう見ても党を分裂したほうが自然と思えるほど政策論的に大きな隔たりがあった。産経新聞のような保守派メディアは民主党を「左翼」と見て執拗に攻撃しているが、実際のところ民主党議員の顔ぶれを見ると、自民党以上に右翼的な思想の人が少なからず存在している。

 要するに、政党の支持層を経済的な利害や政治理念で組織化してこなかったため、リーダーの人格や能力に関わらずその政党を粘り強く支持する有権者がほとんどいないことが、容易に「ねじれ国会」を作り出し、頻繁な政権交替を招いている背景にある。1年以内で政党支持をコロコロ変える有権者の節操のなさを批判することもできるが、それ以前の問題として、日本の政治状況においては、首相や政党リーダーの「人柄」「やる気」「指導力」といったものでしか、有権者は選択のしようがないのである。2005年の郵政選挙有権者が支持したのは「民営化」ではなく、あくまで小泉元首相の「抵抗勢力に敢然と戦う改革への熱意とリーダーシップ」にすぎなかった。当時の民主党はそれに対して「民営化」そのものの是非を問うのではなく、「みせかけの改革」と批判するという戦略を採用して、「改革への熱意」を争点化する道を選択した。

 「改革への熱意」のような漠然としたイメージが政治の争点になってしまえば、有権者が選挙のたびに政党支持をひっくりかえすようになるのは当たり前である。個々の民主党議員には若くて頭の切れる人が多く、政策通も少なからずいる。しかし、テレビの政治討論番組や選挙戦になると、結局は「利権政治」「官僚主導」という言い方で自民党を批判するという論法に陥りがちであった(それを「わかりやすい」と持ち上げていた政治評論家やジャーナリストがいま民主党を批判している)。そして、政策論は「利権政治」「官僚主導」から脱却しているかどうかのイメージが最優先となり、政策の実現可能性や、個々の政策の間を首尾一貫的に統一させる政治理念の提示は後回しになってしまった。

 民主党がこうなったのも、この政党が長年対峙していた政権与党の自民党が、反市場主義者や護憲派を含む「包括的政権政党」であったことも背景にある。もともと自民党には地方後援会組織の緩やかな連合といった性格があり、小泉純一郎亀井静香与謝野馨といった、お互いに共通点のないほど政策理念が異なる人物が長年同じ政党に属し、しかもしばしば同じ内閣の一員でさえあった。つまり野党の側からすると、政策理念で差をつけようとしても、当の自民党議員には暖簾に腕押しであり、世論に訴えるものでもなかったため、「土建政治」「官僚政治」といった政権運営の在り方や支配の構造そのものをターゲットにせざるを得なかったわけである。かつての自民党も、政策や政治理念が支持されてきたというよりも、あくまで「執政党」として支持されてきたのであり、実際野党になった現在でも、相変わらず「現実的な政権担当能力」を「未熟な民主党」との違いとして看板に掲げている。
 
 冒頭の繰り返しになるが、日本では政局の混乱そのものが、直接国民生活に大きな影響を与えていない。しかしそのことは、有権者が他人事のように首相や政権与党を批判し、選挙ごとに政党支持を躊躇なくコロコロ変えることができてしまう原因でもある。とりわけ、組織的な利害から解放された年金生活者層が選挙を左右する存在になったことは、こうした傾向に拍車をかけているように思われる。もし日本で民主主義をきちんと機能させ、国民の政治意識を高めたいと言うのであれば、日々の経済や生活の中で政治の混乱を実際に体感できるような何らかの仕組みが必要であると思われるが、それはまた別に機会に考えたい。

(追記)

 個人的な仮説としては、2000年代半ば以降に選挙の帰趨を決定するようになった、年金生活者層の利害関心を既存の政党が組織化できていないことにも問題があると考える。

 年金生活者層においては情報源としてテレビの依存度が圧倒的であるため、どうしても各政党ともコストが低くて効果が大きい(リスクは高いが)こともあり、テレビのイメージに依存した選挙戦略を展開しがちである。また、良くも悪くも狭い経済的利害からは解放されているので、政治を自分たちの仕事や生活からではなく、最初から「国益」全体のことを考えてしまう傾向がある。つまり、「国の財政が厳しいのだからみんな我慢し、議員と官僚も自ら血を流して国民も増税を受け入れるべきだ」という主張に共感しやすい*1。日本でデフレ不況にも関わらず財政再建論が強いのは、財政が厳しいとか財務省の陰謀とかというよりは、多分にそれが(政治に真面目な)年金生活者層の共感を呼びやすいことに由来するものだろう。

 個人的には、年金の持続可能性が若い現役世代の充実した雇用と所得に圧倒的に依存しているのは明らかなのだから、年金制度を通じた世代間連帯と「福祉国家*2の再建を主張することで、年金生活者の利害関心をきちんと政治的に組織化しつつ、若年の非正規雇用層や失業者の支持も取り込んでいくような戦略が政党の中に生まれるべきだと思う。ただそのためには、民主党自民党も一度解体してもらう必要があるかもしれないが・・。

*1:断っておくと、ヨーロッパでは年金給付を削減しようとすると群衆デモが起こるので、年金生活層の態度は国によっていろいろ違いがある。

*2:ここでいう福祉国家とは公的福祉が充実した国家というだけではなく、非市場的な手段も積極的に活用しながら「完全雇用」の実現を目指す国家のことを指す。