年賀状の習慣がなくならない理由

元日配達の年賀状、3年ぶり減=日本郵政

 日本郵政グループの郵便事業会社(日本郵便)は1日午前、原口一博総務相を招き、郵便事業発祥の地である日本橋支店(東京都中央区)で年賀状の配達出発式を開いた。元日に全国で配達される年賀状は前年比0.5%減の20億8500万通と、3年ぶりに前年を下回った。昨年末までに引き受けた年賀状が、前年に比べて1.4%減ったため。(2010/01/01-10:56)

 年賀状そもそのは江戸時代からあるそうだが、それが爆発的に普及したのは高度成長の時代である。顔見知りの人間関係で生活の大半が済んでいたような社会から、職場や得意先といった、いちいち挨拶に出向くわけにもいかない不特定多数の人々との関係が増えて、年賀状は「挨拶回り」の代替物として急速に定着していった。結果として、「挨拶回り」が可能な隣近所でも年賀状を送ることが当たり前になり、ほとんど世代や階層を超えた全国民的な習慣となった。

 最近年賀状の配達量は頭打ちであり、特に若い世代の年賀状の習慣は弱くなりつつある。これはメールの影響だとも言われているが、たぶんそれだけではない。年賀状を送るのは、当然ながらこれまである程度固い関係であったり、あるいはそういう関係を期待できる相手である。来年この会社にいるかどうかがわからないような人が多くなれば、当然ながら職場の仲間や得意先に年賀状を送る理由は減ってくるし、少なくとも辞めた後にまで年賀状を送ったりはしない。結果的に、年賀状を送る習慣はだんだん擦り切れていくようになる。

 逆に、年賀状の販売量が激減するまでに至っていないのが、個人的には不思議である。その理由を推測するに、年賀状の習慣を定着させてきた団塊世代の人口が依然として分厚いこと、企業向けの年賀状は激しい顧客獲得競争のなかでかえって増えている可能性があること、そして最後は身も蓋もない理由だが、年賀状の習慣が一度定着してしまったことによって「送らない(返事をしない)と失礼なこと」になってしまったことである。

 つまり、一度何かの仕事の関係で年賀状が送られてくると、それに返事をしなければ「社会人として常識のない人間」と思われてしまうことになる。そう思われたくないためには、たとえ一度会っただけの関係でも年賀状を返さなければならない。その後10年会うことがなかったとしても、年賀状だけのやりとりは延々と続いていく。強迫観念とまでは言えないかもしれないが、こうしたメカニズムが現在でも年賀状の習慣の衰退に歯止めをかけているのだろう。

 以上のように年賀状には「不幸の手紙」にも似たところがあり、個人的にはこういう習慣はなくなってくれたほうがはるかに有難いのだが、正月の「風物詩」みたいになってしまっているので、なくなったらそれはそれでさみしい感じはするかもしれない。