民主党の「第三の道」

 民主党新成長戦略について、各方面から批判が多い。

 「第三の道」と「第一の道」との根本的な違いが曖昧とか、内容自体は福田・麻生政権でも出ていたもので新味に欠けるとか、実行性が乏しいなどというのはその通りとしても、方向性自体は賛成してもいいと思う。非常に単純化すると、成長戦略には 1)公共投資、2)規制緩和、3)再分配の三つがあって、民主党政権の「第三の道」は、3)の再分配に重点を置こうとしていると理解してよいだろう。現在の日本の抱える問題を踏まえれば、極めて真っ当なものであると評価することができる。

 最大の問題は、再分配のために大幅な増税と公共機関の拡張が避けられないにも関わらず、民主党増税回避と歳出削減、行政規模の縮小という方向に進んでいることである。そして、民主党自身が行政不信をいたずらに煽り、増税政策をますます困難にしてきたという過去がある。この方向性から完全に手を切り、行政の効率化と増税や公務員の人員増が矛盾せず、むしろ経済成長の条件ですらあることをはっきり宣言しない限り、「第三の道」が成功することは有り得ない。

 ちなみに、メディアで発言権を持っているような立派な大人が、民主党のこの程度の方向性を「社会主義的」と真面目に批判しているのは、本当に驚き呆れるしかない*1。彼らの基準であれば、世界中の大多数の国は「社会主義国」になってしまうだろうし、「グローバル化」に批判的な、ノーベル賞の経済学者を含む多くの知識人も全て「社会主義者」になってしまう。

 しばしば「専門家」「社長」の肩書きを持っているような、「メディアで発言権を持っているような立派な大人」ほど、社会観が単純で薄っぺらな印象がある。しかも、この日本国民の平均年収の数倍はあると思われる大の「大人」が、しばしば「企業はこんなに大変なのに・・・」と、被害者意識をむき出しにして愚痴や泣き言を言ったりする。子供の頃に見た「偉い人」は、もっと本当の意味で「大人」だったような気がする。


 民主党政権の需要政策をやたらに小馬鹿にしたがる人たちの多くには、以下の傾向がある感じがする(もちろん需要重視で民主党を批判する人もいる)。

ここらへん、確かに理論上はデフレ不況のど真ん中でデマンドサイドとサプライサイド両方の政策を採るのは矛盾はしないかもしれない。しかし現実の中で世間知のフィルターがかかるとどういうわけか常にサプライサイド政策により重点が置かれる傾向があるように思える。つまり反応の非対称性を感じてしまうのだ。「目先の」「短期的」処方箋としての需要側より、「根本的」「長期的」処方箋としての供給側がより「正統的な」イメージを獲得してしまっている、そんな感じがする。ところが現実には今喫緊に必要なのは需要側政策であることは(経済学的には)言うまでもないことなのに、ここで世間知のバイアスに影響されがちなサプライサイド政策を持ち出せば、結果としてより優先度の高い需要側政策へのリソースが削がれる結果になってしまう。
http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20100103/1262506703

 ブックマークにも書いたが、問題は世間知それ自体ではなくて、その世間知に「ただ乗り」して経済を語ってメディアなどで大きな顔をしている自称専門家である。「額に汗して金を稼ぐべき」という、それ自体は間違っているわけじゃない人々の倫理観に乗っかる形で、「規制緩和による競争激化で人々が一生懸命働くようになる→経済成長が実現する」という、飛躍だらけ(あるいは条件付き)の論理を一方的に正当化する。貧困問題の顕在化と2008年以降の金融危機で、こういう主張の信憑性は一度揺らいだが、またゾンビのように生き返りつつあるような気配である。

 こういう「ただ乗り」論者は、公務員でも大企業正社員層でも何でもいいが、「楽な仕事で給料をもらっている」人間が日本経済をダメにしている、と本気で思っているようである。はっきり言って、ほとんど戦時中の軍人の精神主義と変わらないと思うのだが、自分では逆のことを言っているつもりなのが悲惨である。

*1:http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20091223が典型的だが、ほとんどかつての「赤狩り」レベルの議論である。なぜだか知らないが、経済界の「世間知」に通じている人ほど、政治・社会の問題では知性が小学生以下になってしまうことが多い。「日本だけ世界の潮流に取り残されて恥ずかしい」と一人で勝手に鬱になって、危機意識を無意味に肥大化させているような、この人の中二病的精神はどうにかならないものか。