貧困者バッシング

 派遣村のやつらを徹底的に尾行してみた
 http://www.tanteifile.com/diary/2010/01/09_01/index.html


予想していた通りとは言え、こいつらになぜ税金が使われるのかと思うと怒り心頭だ。
パチンコ屋から出てきた入所者を直撃。

 (中略)

国が悪いんじゃない。おまえらの生き方が悪いのだ。
月に5千円でも貯金する頭があったら、最初から派遣村に来る必要も無かっただろう。


 これは派遣村バッシングというよりも、「貧困者バッシング」と言うべきだと思う。就職活動そのものがきついだけではなく、就職後の労働環境が「ブラック」なままなのに、現金を渡すから後は頑張れよというだけの方法をとれば、当然目先の小さな娯楽に使ってしまうわけである。

 貧困とは単にお金がない状態なのではなく社会的排除なのであって、社会的排除の状態が働く意欲を奪っていくのだという、湯浅誠氏が散々言ってきたことが世間には全く伝わっていないようだ。上記の「派遣村のやつらを徹底的に尾行してみた」人は、まさに典型的な社会的排除の言説である。諸外国の、「福祉を食いつぶしている外国人」に監視の目を光らせて攻撃する排外主義者と、その心性において何の違いもない。

 本当に件の貧困者に憤っているのであれば、実際にその現場に行って全身全霊をかけて叱責した上で、自分が責任をもって仕事を世話してやるくらいの態度がなければならない。そんなつもりも全くない人間が外野から貧困者を批判するのは、端的に差別・社会的排除の言説に過ぎない。

 こうした貧困者バッシングの声がやまないのも、日本では貧困問題への経験が浅いために、貧困者が「真面目にはたらこうとしない」事実に戸惑っているためであろう。しかし、西欧・北欧の「福祉国家」と呼ばれる国では、30年来直面してきた問題である。現実に、福祉に依存して懸命に働こうしない大量の国民を抱えているこうした国では、そういう依存者をバッシングしても何も問題が解決しないことを経験上よく理解しており、むしろ働くことがより得になるような社会の仕組みを一生懸命考えざるを得なかったわけである。

 貧困問題はますますひどくなっているのに、世間の問題意識はかえって低下している印象がある。そして、かつて貧困問題の存在自体を否定したような人たちの声が、再び民主党批判の文脈で高まってきているのを見ると、本当に腹が立ってくる。