「財政危機」はもううんざり

財政非常事態宣言 ― 経済コラムマガジン
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鈴木内閣は不況で税収不足なのに景気対策に迫られる窮地に立った。大蔵省は、鈴木政権の公約である1984年の赤字国債からの脱却を断念した。さっそく朝日新聞は「財政、サラ金地獄に」(1982年9月2日)とこの方針転換を批難した。このようなマスコミの雰囲気の中、9月16日に鈴木首相は記者会見で問題の「財政非常事態宣言」を行った。

「財政非常事態宣言」の中で、財政再建のため「聖域を設けない歳出のカット」などを行うとした。しかしこれらに対してのマスコミの反応は「財政再建の展望が示されていない」と意外に厳しかった。増税を警戒するマスコミは、一段の歳出カットを求めていたのである。朝日の論壇には「望まれることは良識の星、土光臨調会長への支援」という意見まで現れた。


財政再建」の公約が破たんしたと、マスコミはこの後も鈴木首相を責め続けた。とうとう鈴木首相は10月12日に退陣を表明することになる。「財政非常事態宣言」を行って一ヶ月も経っていなかった。

今日の10分の1程度の国債発行残高しかなかった28年前から、政府とマスコミは財政危機と騒いでいたのである。また大平・鈴木内閣は何の根拠もなく財政危機を警戒し財政の再建を訴えていた。そしてマスコミに登場する財政学者(御用学者)は「今の財政の赤字が続けば、そのうち金利は上昇し制御が困難なハイパーインフレに陥る」と人々を脅していた。しかしこれらは今日から見れば大笑いのセリフである

 
 この記事の筆者は亀井静香に近い人らしいが、それはともかく個人的にも「危機的な財政状況」という言葉を物心ついたことから散々聞かされてきたという思いがある。そしてそのたびに、「放漫な財政運営の責任を国民に押し付けるのか」という批判も、繰り返し聞かされてきた。さすがにもううんざりという感じである。

 当然ながら、1980年代に日本が直面した「財政危機」は、70年代までに社会保障制度が完備されたことが主たる原因であり、それは先進国が共通して直面していた課題である。ところが日本では、なぜか政治家と官僚が途方もない無駄遣いをしているに違いない、という本質的でない問題ばかりが語られてきた。結果として、増税が先送りされただけではなく、政権与党は増税ではなく企業の育成によって税収を上げようという「構造改革」路線を選択し、そして企業と高所得者に対しては減税が実行され、結果として「財政危機」はますますひどくなっているという悪循環にはまっていった。

 言うまでもなく、財政の問題は税制改革や金融政策などによっていくらでも対処することが可能である。国債発行もその一つである。ところが、日本ではなぜかそうならない。むしろ、「財政危機」を人為では統制不能な天災のように語り、厳しい環境に耐えて国民は頑張らなければと説教する政治家や自称専門家が、メディアで幅を利かせている。増税や脱デフレ政策を口にすると「安易だ」とで笑われる一方、「不況でも元気な企業に学べ」という、国単位の経済にとってはむしろマイナスの可能性もある話が*1、真面目な顔で語られている。

 デフレ経済や財政という環境に根本的な問題があるのであれば、そうした環境に積極的に手を加えていくのが政治家の責務のはずであろう。ところが、厳しい環境を錦の御旗にして国民にさらなる忍耐や苦痛を要求するような政策がとられ、それが拍手喝采で迎えられてきた。なんでこんなことになってしまったのか、日本国民の一人でありながらさっぱりわからない。