米本位制的な財政理解

 2000年代以降、「江戸ブーム」なるものが緩やかに続いている。どちからというと、あまり興味もなく冷ややかに眺めていたほうだが、しかし江戸時代に対するイメージというのはなかなか馬鹿にできないと思うときがある。

 例えば税金の話を聞いていると、江戸時代の話ではないかと感じることがしばしばある。そこでは官僚や議員が節約に励まなければ増税に応じられない、などということがまじめな顔で語られるのだが、それはあくまで「米本位制」でのみ合理的な話である*1。つまり「増税の前に節約を」というのは、政府の食べる米が減れば国民の食べる米が増えるといったような、きわめて単純な財政制度の下でのみ通用する話である。言うまでもないが、近代国家の財政においては、政府の過度の節約は国民の生活にとってマイナスになることのほうが圧倒的に多い。

 説明するまでもないが、市場が支払い能力のある人に多く分配する制度であるのに対して、税というのは医療・福祉など、生存にとって必要なものを必要なだけ分配するための制度である。世の中には、市場にとって必ずしも魅力はない(儲かる余地が少ない)が、人間の生存にとって絶対に必要な業務というのは無数にあり、税金はそうした領域をカバーするための制度である。税金は単純な負担なのではなく、分配政策を通じて市場の及ばない医療・教育・福祉などを国民全体に保障するための手段であり、またそのことが市場に対する信頼を強化して経済成長を牽引していくという潜在能力を持っている。

 もちろん、これは少しでもまじめに政治・経済について物を考えたことのある人にとっては当たり前の話である。問題は、テレビや新聞の表面的な報道だけで政治・経済の問題を消化している大多数の人たちが、このことを経験的・直感的に理解できていないことなのである。むしろ、江戸時代の米本位制的な財政に対する理解の方に、依然として経験的なリアリティを感じているように思える*2

 繰り返しになるが、財政再建主義的な増税政策には全面的に反対している。財政が厳しいから国民に負担というのも、結局は「米本位制」的な発想の延長線上でしかない。*3

*1:周知のように、江戸時代も単純な米本位制の社会ではなく、市場経済的な要素が少なからずあったし、金融政策のようなものも厳然と存在していた。

*2:オイルショックを節約で乗り切ったという「神話」を何度となく聞かされてきたが、こういう因果関係的に怪しい「リアリティ」も影響しているのだろう。

*3:分配なしの増税は消費の急激な落ち込みを招くに決まっていると思うのだが、経済学な裏付けがあるんだろうか。