大相撲のこれから

 朝青龍が引退した。朝青龍の様々な「不祥事」は、相撲界をめぐる様々な環境の変化を象徴しているように思う。

 親方が入門した弟子の生活から人格形成まで全て面倒見るという方法は、西も東もわからない、貧乏な家庭に生まれた田舎の中学校卒が東京に出てきた、というパターンが生きていた時代にはよかった。かつての相撲界には、社会で底辺で生まれた財産も学歴もない若者が、親方を「第二の父親」として「立身出世」していくという物語が存在していた。

 こうした物語が衰退した後、名門大学の相撲部で既に名を上げた力士の入門が増え、親方は「トレーニングコーチ」と表現すべき存在でしかなくなった。入門希望者の数も減り、その穴を埋めるように外国人力士が増えるようになった。

 また「理不尽」といわれるような慣例についても、一世代前にとっては日本社会のあらゆるところに見られたもので、相撲界だけが極端に突出してわけではない。「不合理な伝統こそが相撲界」という意見も散見されるが、いまの70代以上の人にとっては、そうした不合理さは人生のあらゆる局面で直面してきたものであった。とくに、戦争中に軍隊経験があったり、集団就職などで中小企業で働いた人たちにとってはそうである。しかし、今の若い世代や外国人力士なにとって、相撲界の慣例は皮膚感覚で理解できるようなものではなくなっている。

 見る側の事情もかなり変わった。相撲中継が夕方の4時ごろからはじまるというのは、つまり農家や小商店主、大工などが社会のマジョリティだった時代の生活サイクルに即したものである。だから、7時過ぎまで働くサラリーマンが多くなれば、相撲の「国技」としての地位は否応なく低下せざるを得なくなるわけである。この30年くらいは主婦層が相撲人気を支えていた部分があったが、その主婦層も先細りしつつある。これからは、高齢リタイア層が人気を支えていくことになるかどうかだろう。

  これからの道として、競技・スポーツか伝統・儀式かと言われれば後者の道を追求したほうがよいとは個人的には思う。ただ横浜の中華街のような、外国の人の典型イメージとしての「日本伝統」のようなものになっていくとすれば、あまり歓迎すべき方向ではないような気もする。