やはり「みんなの党」は支持できない

 支持率が急上昇して、にわかに注目されている「みんなの党」であるが、渡辺喜美の主張が『文藝春秋』に載っていたので軽く読んでみた。もともと意見が違うことは承知だったが、正直言って大いに失望した。

 なんと、文章の7割が官僚政治批判なのだ。読む前からある程度予想していたとは言え、これはあまりに多すぎる。そして、貧困、医療・介護、雇用といったここ数年散々話題になった、この問題に興味の薄い人でもとりあえずは言及せざるを得なくなっている問題については、なんと一行すら語られていない。

 そもそも「みんなの党」の目指す社会は、政府に頼らずにすべて個人の力で生きていく、徹底して自由主義的な社会である。当然ながら、民営化や規制緩和は今以上に進むし、市場競争は現在よりも激化する。渡辺の文章には、運動部の監督のような、全国民が国際競争のなかで強くならなければいけないといったような、体育会系の雰囲気が満ち溢れている。

 社会保障の役割はあくまで補完的なものにとどまるだろうし、あるいはごく小規模の「ベーシックインカム」のようなものを採用する程度であろう。公務員も減るし消費税もあげないのだから、政府の分配には頼らず教育も医療も自力で市場で調達しなければならない(そう主張していないとしても、結果としてそうせざるを得なくなる)。「みんなの党」を支持しはじめている人たちに聞きたいのは、そういう社会が本当にいいと思っているのか、ということである*1

 彼のインフレ政策について一部の経済学系の人を狂喜させているようだ。しかし、経済のことがよくわかっているから、その先の社会の構想についても許容してしまうような(逆に民主党亀井静香のような人を「経済音痴」として全否定しまうような)、経済学系の人の態度には大いに問題がある*2

 渡辺は「成長なくして分配なし」と語っていたが、必要な分配は成長があろうがなかろうが実行し、その分配を成長につなげていくようにブレーンや官僚を使いこなすのが政治家の役割である*3。「成長なくして分配なし」、つまり財源が足りない以上は分配もできないなどというのは官僚が言う言葉であって、私に言わせれば、渡辺のような人物こそが「官僚政治家」なのである。

*1:こう書くと必ず、「分配の問題について考えてないわけではない」と「反論」する人が出てくるのだが、政治家が声を大きくして言っていないことは、考えていないことと同じだ。

*2:というか、経済学系の人が政治家の経済政策を褒めたことなんで戦後一度でもあっただろうか。せいぜい小泉政権時代に一部の人が、という感じだろう。

*3:そもそも経済学者を含めて、そもそも「再分配」が何なのか理解していない人たちがものすごく多い。だから経済学系の人は、増税=分配よりも金融政策ばかりに依存してしまう。市場経済を活性化させるための増税というのは、ぜんぜんありな話だと思うのだが。というか、それ以外の話は平凡以下の人間が生きるにはキツすぎる。