消費税論議と専門家不信

 菅直人が消費税が上げる上げないで批判が起こっているが*1、そもそも増税政策を支持するかどうかが選挙の争点になるなどというのはおかしい。

 乱暴な言い方をすれば、財政の仕組みというのは専門家にしかわからない。近代社会というのは、そういう専門家を「信頼することにしておく」ことで成り立っている社会である。経済学の専門書を何冊も読んできたと豪語する人がいたとしても、様々な対立意見との論争や、現実との壁に直面することで鍛えられた経験のない人が語る「経済学」は、どこまで行っても床屋談義の域を超えるものではない。

 そもそも有権者が選択できるのは、市場競争の強化か福祉・分配の充実かといったような、大きな方向性だけである。増税にしても「インフレターゲット」にしても、そうした方向性を実現する一つの「手段」に過ぎない。そして、その手段の用い方については訓練を受けた専門家にしかわからない。素人が無知だというのではなく、近代社会というのはそういう仕組みで成り立っている社会だということである。

 だから、「手段」そのものが政治的な争点になっている今の日本の政治風景は、それ自体が不健全な現象である。それは要するに、専門家に対する漠然とした不信感が蔓延しているということを表しているのである。日本社会のすべての問題を「官僚政治」に還元する類の議論は、そうした専門家不信の象徴であると言えるだろう。