寄付による政治は可能か

 たまに、アメリカのように「政治は税金ではなく寄付で行われるべきだ」と主張する人がいる。名古屋市長の河村たかしなどがそうである。ごく少数の意見ではあるが、本来は可能であればそれが好ましいという考え方の人は、それなりにいるように思われる。

 しかし、周知のように日本では寄付文化が圧倒的に弱い*1。日本で寄付が根付かない理由として、宗教文化的な理由と、税制上の優遇装置が弱いことの、二つの要因がよく挙げられている。「小さな政府」を志向する人は、特に後者の理由を強調して「規制緩和」を呼号する傾向がある。

 税制上の要因も一理あるが、やはり宗教文化的な理由のほうがまだ説得力があるような気がする。そもそも税制上の優遇装置が弱いのは何故かと言えば、寄付行動を正当化するような規範が弱かったから、そのような社会運動が盛り上がってこなかったから、としか言いようがないからである。

 日本にも寄付文化が全くなかったわけではない。日本全国のどこにでもある神社仏閣や、戦没者慰霊のための「忠魂碑」などは、すべて寄付によって建てられている。しかし、それは「檀家」のように、目に見える集団や共同体の範囲での話で、見知らぬ人一般に対する寄付というのは、なかなか盛り上がらない。災害義捐金などの社会的弱者に対するものはともかく、特定の政治家や団体に向けた寄付が、この日本で大規模に行われるような風景は、今のところちょっと思い浮かばない。むしろ日本人の間には、合法的な政治献金についても、「カネで政治を動かす」というイメージが依然として強いように思う。正直なところ、こうした「文化」は税制改革くらいで変わるものではないと思う。

 外国の政治家がよく使うフレーズに「われわれに多くを期待してはいけない、この国をつくるのはあなたたちだ」というものがある。リンカーンからオバマ大統領、はてはヒトラーまでが使っている定番のフレーズである。そして、決まったように聴衆から拍手喝采が起こる。ところが、日本ではこの定番のフレーズを聞いたことは一度もない。「官僚政治」を激しく批判する政治家ですら、最後には「私たちに任せてください」という、聞きようによってはパターナリスティックなフレーズを用いることが多い*2

 しかし、もし自分たちの寄付とボランティア精神で政治を運営しようなどと言うのであれば、最低限「われわれに多くを期待してはいけない」と政治家が堂々と言えなければいけない。それすら口にできない社会で「寄付で政治を」などと語るのは、あまりに非現実的で無責任である。

*1:http://belkis.iza.ne.jp/blog/entry/493589/

*2:そもそも、現在日本で官僚が叩かれているのは、「官僚に頼らない社会を」という意味ではない。それは、人件費を削減して地位をより流動的することで、官僚をより厳しい環境に追い込めば一生懸命仕事をするようなるだろうということを期待しているのである。もともと水準の違う問題である「脱官僚」と人員削減が同時に語られているのも、官僚批判の根源にあるものが、甘えた環境にいる官僚を叩き直すというものであるからに他ならない。言うまでもなく、これは日本人の間の根深い官僚依存精神の表れであって、それを根底から批判するものでは決してない。