今なら引き返すのは遅くない

公務員を減らすことが出来ない理由
http://d.hatena.ne.jp/keitaro2272/20100219/1266527671


社会資本を作る責任を公務員や官僚や政治家に押しつけて、配分だけはきちんと頂こうという民意が現在の負債を背負うことになった理由です。そして、責任を権限と勘違いした彼らが『誰か』が負担した『労働力』を恣意的な部分に再配分してきたツケがいま噴出しているのです。口ばかり動かしていても誰も豊かにはなれません。差し出すべきものは差し出さなければなければならないのです。


☆公務員を減らすことが出来ない理由


『誰か』になんとかしてもらおうとする気持ちに全員が打ち勝つことは出来ないから


 面白いけど、これは少し違うと思う。現代社会で絶対に公務員が減らせないというか、むしろ増やすべき理由は以下の三点である。

 第一に、現代社会では家族・親戚、隣近所、友人あるいは宗教団体などの自助能力にほとんど期待できなくなったからである。教育、医療・介護などの問題を自分たちだけで処理できると胸を張れる人、あるいは救急車がすぐ到着せずに患者が死亡したからといって「それは仕方がない」と思える人が、どれぐらいいるか考えればいい。高齢化だけではなく「孤独死」が一般化しつつある現在、社会福祉の担い手としての公務員の役割は高まりこそすれ、少なくなるなどということは絶対にあり得ない。

 第二に、儲からなくても継続すべき業務の担い手が不可欠だからである。医療や教育だけではなく、様々な人口統計や産業統計の作成などは、社会にとって絶対不可欠なものである。例えば、今になって貧困調査が存在していないことが問題になっているように、コスト的に無駄と思えることまでをやる必要がある。このような必要であるが専門的である上に儲からない業務というのは、民間企業に回せないし、NPOなどにも荷が重すぎる。

 第三に、これが決定的に重要な点だが、世の中には自助の可能性すら乏しいと思われる無能力者が一定数いるからである。NPOやボランティアの限界というのは、こういう無能力者へのアクセスそのものが非常に難しく、結局のところ「お金に余裕があって友達も多い」という人で固まりがちなところにある。ここでいう無能力者というのは、重度の障害者のような人ばかりではなく(そうした見た目にもわかりやすい無能力者は、どこかで誰かが手を差し伸べる可能性が高い)、むしろ「ひきこもり」のような現代的な「コミュニケーション弱者」の人たちをも想定している。こういう人たちにも、最低限の生存権を保障しなければならないとしたら、それはどこかで行政による強制の契機が絶対に不可欠になる。NPOやボランティアが不活発で、寄付文化も圧倒的に弱い日本では特にそうである。

 「官僚政治」の弊害を除去すべきとか、賃金をフラット化するとか、それ自体は必要なことであるが(緊急かどうかはともかく)、それと公務員の人員総数を削減することと混同しては断じてならない。個人的には、むしろ公務員の総数は大幅に増えるべきだと思っているし、それと「脱官僚」は完全に両立可能だと考えている*1。単なる人気取りだけのために時代に逆行した削減策を断行しようとする民主党政権には、「今なら引き返すのは遅くない」と言いたい(もちろん直近の選挙には惨敗するだろうが)。


国家公務員削減「3万5千人以上」枝野刷新相
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100214-OYT1T00673.htm


 枝野行政刷新相は14日のテレビ朝日の番組で、国の出先機関の統廃合に伴う国家公務員の削減について、「3万5000人以上」を目指す考えを表明した。


 刷新相は今後、原口総務相ら関係閣僚とも協議したうえで、政府が今夏に策定する「地域主権戦略大綱」に、出先機関改革の基本方針を盛り込む方針だ。

 刷新相は、政府の地方分権改革推進委員会が麻生前政権下の2008年12月の第2次勧告で、出先機関の統廃合によって職員約3万5000人の削減を目指すとしたことに触れ、「自民党時代にこの数字が出たのだから、国民の期待はこれがスタートラインだ。期待に応えないといけない」と述べ、前政権以上の目標を目指す考えを示した。

 統廃合の対象については、「税務署とか海上保安本部は地方に必要だが、(予算の)個所付け的なことを決める出先機関はいらない。地方で決めればいい」と述べた。主に国土交通省の地方整備局などが対象となるとの考えを示したものだ。

(2010年2月14日18時48分 読売新聞)

*1:脱官僚」が「政治主導」を意味するのであれば、その実行役である公務員の削減は完全に逆行している。