高齢者の既得権がラディカルな改革を支持させている

若年者の立場に立って高齢者層を批判する議論が相変わらず盛んである。そもそも、ある世代や階層をとらえてそれを批判するということ自体が途方もなく無意味なのだが、なかなか収まる気配がない。

 確かに、現在の日本の世論と政治動向を支えているのが、60代を中心とする高齢者層であることは間違いない。しかし、そこで批判されなければならないのは、高齢者層の「既得権」ではなく、選挙や視聴率のためにそうした世代的な利害関心をそのまま代弁してしまう、政治家やマスメディア・ジャーナリストたちにある。

 高齢者層は確かに社会的弱者ではないかもしれないが、ルサンチマンをぶつけなければならないほどの「既得権層」だとは思わない。むしろ個人的にイメージする高齢者層は、多いとは言えない年金と、死ぬまでに残っているかどうかという貯金を細々と取り崩して生活し、子供たちも不安定な働き方をしていて仕送りが期待できないという、そういうイメージである。

 むしろ個人的に気になるのは、生活保守主義的な関心の強いはずのこの高齢者層ほど、社会の流動化を推し進めるようなラディカルな「改革」を支持する傾向にあるらしい、ということである*1。「事業仕分け」のような歳出削減策への支持が高く、子供手当てのような(国際的に見てもそれほど手厚いとは言えない)分配政策が意外に不人気であり、しかもインターネットより高齢者層が視聴者の中心であるテレビで、その傾向がより強いことがその象徴である。

 さらなる「規制緩和」や「民営化」を推し進めようとする経済人たちは、高齢者層の「既得権」を攻撃する。しかし、彼らが大きく勘違いしているのは、もはや老後の生活を守ることにしか関心がない高齢者層自身も、公務員や労働組合の「既得権」に憤っていることである。もちろん経済人たちは賃金を下げ、財政コストを減らすことが、規制緩和・民営化の目的である。それに対して、高齢者層は自分たちの保険や年金を支える官僚・公務員に「必死で仕事をしてもらう」ことが目的である*2

 要するに高齢者層のなかには、「医療崩壊」「年金破綻」「財政危機」など、自分の老後生活に直結するような不安感をかきたてる報道が飛び交う中で、それを支える責任のあるべき官僚・公務員が、競争もなく安定した地位と所得を保障されていることへのルサンチマンがくすぶっている。経済自由主義的な規制緩和論者たちは、若い世代の利害を代弁して高齢世代の既得権を解体しようとしているつもりかもしれないが、そうした「改革」的な主張が、高齢者層が自らの既得権維持の関心から積極的に支持されているということを見逃してはならない

 財界に近い政治家も、こうした高齢者層の世論を巧みに利用して、支持の拡大をはかっている。例えば「みんなの党」に象徴されるように、自らの反福祉的で経済自由主義的な思想をあまり前面に出すことなく、表向きの議論のほとんどを官僚政治批判に費やしているのである。日本では、マーガレット・サッチャーのように「反福祉」の旗幟を鮮明にしていた人は(潜在的にはいたが)誰一人としていなかったにも関わらず、1990年代以降、現実として日本の社会保障費は抑制・削減され続けてきた*3。また似たようなことが繰り返されるかと思うと、心底うんざりするという感じである。

*1:たとえば大阪の橋下知事に対する支持率は、高齢世代でより高い傾向にある。http://www.sankei-kansai.com/2010/02/02/20100202-020034.php言うまでもないが、こういう調査に回答する人たちでは、そもそも「フリーター」「ワーキングプア」「ニート」といった、安定した住居や生活基盤を持たない弱者は除外される傾向がある。

*2:繰り返すようにこの矛盾がかんぽの宿の売却問題である。経済人やエコノミストたちは「郵政民営化」を市場価格に基づいて郵政事業を運営することであると考えていたのであるが、高齢者を中心とする世論は、郵便局員に市場競争の中で「必死に仕事をしてもらう」ことを求めていたにすぎなかった。現在の官僚バッシングの背景には、古き良き官僚パターナリズムへのノスタルジーがある。

*3:菅直人は今の民主党政権サッチャーに対するブレアのような存在として位置づけたいらしいが、いま一つ求心力を持たないのは、国民自身が「反福祉」的な政治家を支持した覚えが全くないからである。