やはりピントがずれている

飯田 その通りです。現在はほとんど篤志家によって運営されている子ども施設に、公的なお金が一人当り月額2万6,000円入る。今まではDVにあったり、両親に捨てられたりした子の養護施設はどうしても寄付に依存せざるをえなかった。だけれども、こんなに景気が悪いと大きい額を寄付してくれる篤志家がいない。そのうえ篤志家も年をとって代替わりをし始めてるんですよ。そうすると何が起こるかと言うと、よくあるのが、相続対策のために株式会社にする。すると二代目の社長はサラリーマンの雇われ社長だから、自分の意志だけでお金を使うことはできなくなる。
だから子ども施設はだんだんと篤志家依存から行政のお金で運営する、って形にしないといけない。そうなるとすぐ国立または市町村立の子ども園を作ればいいっていう意見が出るんですけど、そんなことしても、ろくなことにならないと思いますよ。


沢辺 うん。ろくなことにならない。


飯田 県の上級職出身の理事長が来て、市の職員出身の副理事長と事務長がいて、そいつらが年収1,000万円(笑)。その次にその施設の職員の管理に公立保育園からの天下りが来たりと、下手すりゃ働いてる人が半分以下になる。


沢辺 公務員準拠の給料を貰える人が2、3割で、残りは時給900円のアルバイトっていう介護保険状態になるわけですよね。


飯田 で、公務員並み待遇の人は一切仕事をせずっていうね。


沢辺 ひどい世界。


飯田 そうですよね。それだったら自発的に、ビジネスって言うと変な言い方ですけど、NPOとして組織が運営出来るための原資を社会的に与えるのがいいと思うんですよね。やっぱり、これからのキーって「いかに市場の力を正しく使うか」ってことだと思うんですよ。


http://www.pot.co.jp/danwashitsu/iida/20100416_173753493917513.html

 「天下り」があったとして、それをわれわれが地道に批判していくのが「民主主義」というものではないかと思う。政府がやるのか市場がやるのかは、あくまで事業の性質の問題によって決めるべきであって、「どうせ天下り先が増えるだけ」だから公立はだめだというのは、議論として根本的に間違っている。「天下り」を批判した上で、児童福祉は公立でやるというのは当然ありうるはずだろう。

 その意味で言うと、育児は貧しい人も相手にしなければならないから、その基本部分は「ビジネス」にしてはいけない。市場はあくまで支払い能力の高い人を相手にさせてこそ最も威力を発揮するのであって、無理に低所得者までを相手にさせると、少ないパイをみんなで奪い合うということが起こってしまう。この基本を確認した上で、民間企業が参入すべきラインがどこかを考えるべきなのだが、ここでは児童福祉事業そのものを市場がうまく扱えるような話になっている。

 それにしても上に限らず、経済の話ではすごくシャープな人が、政治や社会保障の話に少し踏み込むと、あれあれって感じになってしまうのはどうしてなんだろうか。年金の話もあるが、やはりピントがずれている感じは否めない。