改憲論ブームの時代が懐かしい

昨日憲法記念だったが、改憲*1が全く盛り上がらない。

1970年代までは「護憲」が圧倒的に強かった。それは、戦争の記憶もまだ強く、とにかく戦後の平和な生活を守りたいという世論と、冷戦体制でアメリカに守ってもらえれば世論をあえて刺激することもないという保守政党の思惑、そして知識人・ジャーナリストと言えば「左翼」であるという時代を背景にしたものだったからである。「改憲」というのは「好戦」とほぼ同じ意味で、それを口にすればそれだけで閣僚のクビが飛ぶような雰囲気すら存在していた。

改憲論を急激に盛り上げたのは、1990年の湾岸戦争だった。このフセインイラクに完全に非のある戦争に対して、世界中が「当然のように」軍事力を提供して「国際協調」を遂行したのにたいし、日本は資金面の援助を行っただけであった。これは、世界の中で日本だけが軍事力を派遣できないのは、「恥ずかしい」「みっともない」という気持ちを、国民のなかに生むことになった。その後も、こうした「国際貢献」の場面に直面するたびに改憲派の説得力は高まり、護憲派は防戦一方という風景が、テレビの討論番組でおなじみのものとなった。

そして「平和国家」「平和主義」という言い方は、既に政治家や学校の先生、テレビの司会者などから聴かされるある種の決まり文句となっていて、若い世代の「平和主義」に対する潜在的な反発が次第に強まっていた。平和主義を批判的に見るというのは、学校の先生の言うことを素直に聞く単なる「良い子」ではない、ということの象徴だった。そのなかで「護憲」を前面に掲げ続けた社民党は、選挙のたびに議席を減らし、かつての面影もないほどの少数政党になってしまった。

ところが2000年代に入ると改憲論は一気にトーンダウンしはじめていった。まず、改憲論自体のタブー性が全くと言ってよいほどなくなり、政治家が公約に明確に掲げることが普通にできるようになった。自衛隊も最前線ではないとは言え、世界の紛争地域に当たり前のように派遣されるようになり、「世界のなかで日本だけが・・・」という劣等感も次第に解消されていった。そうなると若い世代にとっても、もはや「反体制」という意味での改憲論は魅力的なものではなくなっていった。

さらに本格的な高齢化社会となるとともに、2005年あたりから「格差」「貧困」への不安が高まるようになって、多くの国民に生活保守的な態度が急激に強まっていった。改憲論を支えていた「経済大国」の意識も、長期のデフレ経済による国民所得の伸びの停滞や、中国経済の台頭などによって急速に萎んでいった。そしてこれに、「改憲」を前面に掲げた安倍政権の無残な失敗が追い討ちをかけ、「改憲論」ブームはほぼ終焉することになった。

改憲論が盛り上がらなくなったといっても、「護憲」意識が高まったことを意味しない。むしろ、日本という国がこうあるべきだという議論への活力そのものが失われている、と言った方がよい。独立行政法人の「天下り」が何人でけしからんとか、官僚の給料がこの程度で高すぎる減らせとか、そんなみみっちい問題が政治の話題の中心になっている現状と比べると、90年代の「改憲論ブーム」の時代が正直懐かしく思えてくる。

*1:事実上「9条」を変えて軍隊を正式に保有すべきだという議論