横並び意識の新自由主義

社会保障・福祉に、やっかみ妬みがついてまわる社会 Afternoon Cafe
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「高校無償化に否定的な人々は、無償化は「国からの恩恵」と捉えている節があります。
「税金で学校にいかせてもらうんだから、勉強サボって成績の悪いヤツや素行のよくないやつはドンドン退学にするか授業料を請求しろ」と言った具合です。


コレが歪んで高じると、
「日本という共同体から受ける恩恵に何ら感謝もせず、その共同体から金をむしりとることしか考えていない」「国から恩恵を受けているんだからお上に逆らうんじゃない、この恩知らずめ」なんていう発想にもなっちゃいますね。


社会保障・福祉を受ける人々に対しやっかみ妬みのような否定的感情を抱き、足をひっぱるような草の根の風潮では、現在の格差貧困も国の怠慢への怒りに変わらず、分相応の「致し方ないもの」として諦め受け入れていってしまうのではないでしょうか。


この国民性(かな?)、なんとかならないものですかね(T-T)


 自分が日ごろ言いたいことをかなりズバリと言ってくれた文章で、かなり共感できた。

 何かというと「新自由主義」を目の敵にする人文系の知識人の議論が耐え難いほど薄っぺらなのは、日本で「新自由主義」と呼ばれるものが支持されてきたことがあった(依然としてある)として、その内実は元来の「新自由主義」とは真逆の、日本のほの暗い「国民性」に根ざしていることへの想像力が決定的に欠けていることである。世の中は競争が激しくなっているのに官僚・公務員だけは守られているとか、財政が厳しいのに国会議員や官僚の給料は高すぎるのではないかとか、日本の「新自由主義」というのは所詮はそういうルサンチマン以上のものではなかった。

 そもそもアメリカと日本の「新自由主義」は、内容という以上に意識の水準でかなりの開きがある。前者が「政府から金をもらって生活するなんて誇りある人間ではない」という文字通りの個人主義的な倫理に由来しているのに対して、後者は「みんな厳しい状況で苦労しているのだから政府に安易に頼るべきではない」という、横並び意識のルサンチマンに根ざしている。ちなみにイギリスの「新自由主義」は「自生的秩序」への信頼感によるもので、これも日本とは根本的に異なる。

 どこかの知事や市長の「民間では有り得ない」という物言いに世論が共感しているとしたら、それは市場原理を通じた経済成長の論理を理解して支持しているのではなく、みんなが厳しい状況で頑張っているのだからそれにあわせるべきだという、昔ながらの日本人的な横並び意識の歪んだ形でしかない。国がやるべき社会保障や規制を怠って貧困や労基法違反を放置していることに憤るよりも、官僚の「天下り」の人数や給与水準に憤りを感じるというのが、非常に悲しいが今の日本の世論の現実である*1

 日本では公務員の削減や民営化を支持する世論と、「経済成長」よりも現状のなかで何とかやりくりしようという世論が奇妙な形で同居している。論理的には全くナンセンスだが、日本人的な横並び意識に由来するものと考えれば、きわめて納得である。

*1:メディアが独法の「天下り」の人数を連日のように報道する一方で、「ブラック企業」のハードというより異常な研修内容を美談風に紹介しているというのが、まさにこの象徴と言える。