どうもごく少数派

 これは勝間和代氏も言っていたことだが、なぜか日本では携帯電話、牛丼、コンビニ、ファミレス、家電量販店などなど、ひとつの「売れている」分野に多くの企業が参入して過当競争になってしまう。やはり、こうなってしまう最大の理由は、日本の労働者が低賃金で懸命に働いてくれる、ということにある。つまり、よほど間違えなければ確実に売れる業種にターゲットを絞ったら、あとはひたすら人件費を下げて低価格で勝負していけば、利益が上がってしまう。結果として、経営者の側に経営の効率性を高め斬新な商品を開発しようというモチベーションが低下し(口では言うが)、低賃金労働者が増えれば消費も当然冷え込んでしまい、経済全体が停滞してしまう。

 そもそも「福祉国家」というのは、別に市場原理の暴力に対抗するというヒューマニスティックなものなのではなく、まずもって市場経済の生産性・効率性の論理のなかで登場したものだった。つまり、労働者の待遇を引き上げることで、経営者が低賃金・低価格ではなく、正攻法に生産性の高さで勝負するようになり、さらに消費も活性化し、高い経済成長を実現するというわけである。最低賃金保障や失業給付といったものは、単に貧しい人がかわいそうというものではなく、何よりも低賃金労働者に依存して新しいものを何も生み出さない企業・産業に安楽死してもらうためであった。

 さらに一部の大企業には、さほど生産性が高くないのに中高年を中心に過剰に人員を抱え込んでいるところがある。なぜクビを切れないか、あるいはなぜクビきりに抵抗するのかと言えば、言うまでもなく家のローン、親の介護、子どもの教育費など生活費がかかるし、別の仕事が見つかる可能性が皆無だからである。この意味で、失業給付や職業訓練などの公的な社会保障を充実させることは、衰退産業から成長産業への、健全な労働市場の流動化を可能にするのであり、周知のようにこれを徹底して行ってきたのがスウェーデンである。

 福祉国家論者は市場原理への愚痴や悪口が枕詞になっていることが多く、「生産性」「効率性」という言葉だけで嫌な顔をするタイプが少なくないのだが、それでは「賃金を上げると競争力が落ちる」という批判に太刀打ちできない。福祉国家の考え方は、市場原理を尊重する経済成長の理論の一部として登場したはずだし、自分も完全にそう理解しているのだが、どうもそういう考え方はごく少数派のようである。

(追記)

 急にブックマークが増えて???なのだが、確かに「ごく少数派」というのは言い過ぎだったかもしれず、これに関しては訂正したい。

 ただ、「分厚い社会保障こそが市場を活性化させる」という主張を真正面から行っている人がそんなにいるかというと、やはりごく一部の例外を除いて見当たらない。市場派の鈴木亘氏も、民営化とワークフェアによる社会保障財政の抑制を主張している。「税と社会保障の一体改革」には、社会保障と経済成長を連携させる考え方が示されているが、財政の問題に比べると中心的なものとは言えず、読み方によっては社会保障の抑制策にも受け取ることができるという微妙なところがある。 

 やはり「分厚い社会保障こそが市場を活性化させる」というのは、あくまで「スウェーデン」の文脈で出てくる話で、日本の経済・財政の政策論で具体的な形で語られることは少ない。それも当然で、「スウェーデン」の話を聞けばだれもが「よくできている」と感心するのだが、高い税負担や公務員の増員、同一労働同一賃金の実現、労働組合の拡大強化など、一つ一つが世論の強い抵抗感を引き起こすようなものばかりで、結局つまみ食い的な「スウェーデン」讃歌ばかりになっている。