経済学と福祉の相性が悪いという不思議

 今の日本(世界でも?)で経済学と福祉の相性が悪いというのは不思議である。経済学者は「再分配」の必要性は理解しているし、福祉論者も経済成長の重要性を否定しているわけではないのだが、見ていると相互に議論がかみ合わないことが多い。

 経済学のなかに福祉の問題を位置づけるのは難しいらしいのだが*1、個人的には、個別的には労働生産性の低い人でも、見捨てるよりは雇用や所得を保障した方が社会全体のコストが下がって効率性は高くなる、と言うことを証明することがそんなに難しいことなのかが正直あまりよくわからない。もともと福祉国家の理念は、新古典派経済学を深く読み込んだ経済学系の人たちから提出されたものである。「新古典派」というと反福祉的なイメージが強いが、福祉国家論の源流が救貧法に象徴されるヴィクトリア自由主義と決別しようとした、新古典派経済学にあることは明らかである。

 ケインズやミュルダールなどを勉強している経済学者が、「インフレ目標」政策を掲げるのはいいとして、ラディカルな反福祉的新自由主義者に「インフレ目標」を掲げているというだけで、全面的に賛同したりすることがある。経済学者のこういう感覚は、正直よくわからないところが多い。

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 2ヶ月前に菅直人の「増税で経済成長」を条件反射で「馬鹿」「トンデモ」と罵倒した「経済に詳しい」人たちが、よりはっきり言っている今回ダンマリなのはどうしてなんだろうか。周知の経済学者がブレーンに入っているからなんだろうか。だとしたら、その身内意識たるやもはや嗤うしかないだろう。さすがにあの高橋洋一氏も理論的にありうることを認めているが*2、相変わらず政府は信用できないという駄々っ子の結論になっている*3。あと、そもそも政治家に「正しい経済学」の理解などを求めるべきではないと思う。

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 よく見ると「増税で経済成長」は、やっぱりいろいろ批判されていたが、・・・・ううん、やっぱり納得はできないなあ。批判している人は議論そのものはそのとおりと思わないでもない一方で、税の役割についての理解が根本的に間違っている感じがする。この間違った前提を受け入れれば理解できなくはない。

 民業圧迫というけど、いま日本で起こっているの「ブラック企業」や「貧困ビジネス」の問題は、官がやるべき領域まで民間企業が引き受けている結果ではないだろうか。医療・介護・育児・教育・雇用などなどのセーフティネットの原資は、インフレによる「経済成長」で調達できるというのだろうけど、まあそうかもしれないけど、ケインズじゃないが「長期的には死んでいる」ことにならないのか。実際、高橋是清のもたらした経済成長の果実を受け取るまで、下層民衆は待てず、逆に「財閥」「資本家」へのルサンチマンが高まり、小作争議や労働争議が日常茶飯事に起こっていたわけだが、やはりそれは税制改革と再分配政策を先送りした結果ではないだろうか。

 それに、こういう分野を民間企業に全面的に任せられない以上、長期的にも税と社会保険を上げていくしかないと思うのだが、それ以外に何かあるのだろうか。税金を上げなくても、医療・介護・雇用の現場で起こっている悲惨な光景はとりあえず放置しても構わないということなのだろうか。そのことが社会不安を悪化させ、かつデフレを悪化させることにはならないのだろうか。ここらへんどう考えているのか、ちょっとよくわからない。

 確かに「増税財政再建」は最低最悪の政策だし、この連中が有害な議論をまき散らしているのは腹立たしい限りだけど、その逆が反増税論では絶対にないと思う。

*1:http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-401.html

*2:http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100421/plt1004211609002-n2.htm

*3:政府を信じるのか国民を信じるのかという二者択一になっているけど、高橋氏こそ国民が政府を民主的にコントロールできる可能性を信じていないから、こういう二者択一に全く矛盾を感じないわけである。