増税と経済成長

 今日本で消費が停滞しているとしたら、介護や教育費など「いざとなったら金がかかって大変」という将来不安や、「ブラック企業」にでもしがみつかないと生きていけない、という状況が背景にある。だから増税しても、医療・介護・育児・教育・雇用の分野のセーフティネットがしっかり張られて、「いざとなっても安心」な社会をつくることができれば、むしろ消費の活性化を期待することができる。だから重要なのは、そういう社会を作るという全体像を提示し、国民に前向きな期待を抱かせることにある。

 菅直人がよくないのは、増税による再分配を一種の産業政策的なものとして理解している可能性がある点である*1社会保障政策は、あくまで健全な市場競争社会の形成をバックアップするものであって、それ自体が経済成長を牽引するかのような言い方はあまり正しくない。そういう言い方だと、増税分で雇用の創出といっても大した効果はない、と思われても仕方がないし、その限りではその通りだと思う。菅直人に問題があるのか、元々の「小野理論」に問題があるのかはよくわからないが。

 税というと、負担増で消費を冷え込ませるという基本的な誤解が依然として多いのだが、増税はイコール負担増ではない。現段階において福祉が家族・個人や企業の負担になっておりしかもそれが特定の人に大きく偏った形の負担になっている現状を是正し、薄く広い負担にしていくのが税の役割である。市場と民間企業には、こういう負担を社会的に遍在化していく能力はないし、それを期待すると「貧困ビジネス」が蔓延化するだけである。実際、現状を見ると、福祉を家族や民間企業に背負わせていることで、社会的な負担・コストが上昇し、消費の冷え込みを招いていると理解したほうがよいと思う。

 「政府が信用できないから増税はよくない」という人が相変わらずいるのだが、私は「経済成長しても大企業が搾取するだけで意味がない」という極左の論理と、一体何が違うのかがよくわからない。現状の政府や企業が信用に値しないものであるとしても、それをどううまく使っていくかの知恵を懸命に働かせるだけである。われわれが求めるべきは、政策決定過程の透明化と、その過程への参加可能性の拡大といったものだろう。

 経済成長しても分配の不平等や政治的・社会的な疎外感を放置するとどんなことが起こるのか、というのが1930年代の日本の教訓だったはずであろう。経済成長してから増税・再分配ではなく、あくまで同時に進めるべきだと思う。そうしないと、経済成長しても市場原理への憎悪やルサンチマンが蓄積するだけである。

 最後に、「増税すれば経済が落ち込むことは歴史が証明」という人が依然として多いのが、しっかりとした証拠を出してほしい。論理のレベルでは全く納得できないというか、税の役割の理解が根本的に間違っていると思う。

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 小野氏は所得税増税を考えているようで、それももちろん大賛成というか、すぐにやるべきだと思うけど、政治学的には「納税者の反乱」が怖い。あまり公的な福祉を必要としていない階層の税金だけが上がるわけだから、「税金で食っている連中」への反感が高まる可能性を危惧してしまう。やはり高齢者、失業者、主婦、定住外国人などなども含めて、ひとしく負担する仕組みのほうが、持続可能性を考えてもよいと思う。

 それにしても、枝野の緊縮財政主義的な態度にはつくづく失望されられる。菅直人以上に頭の切れる人なので、逆に心配だ。というか、「頭の切れる」政治家ほど緊縮財政路線で、政治ジャーナリストの受けもいいというのはどうしてなんだろうか。厳しい財政に耐えて、みんな我慢することが美しいかのような勘違いがあるのだが、それこそその人たちが批判している「官僚主義」「社会主義」の精神そのものなんだがなあ・・・。

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 それにしても、経済学系の人の「間違った経済政策」への許容度の低さにはあらためてびっくりさせられる。正しいか間違っているか以前に、ちょっと政治にナイーブ過ぎるのではないだろうか。全体の方向性がそんなに悪くなければ、10のうち2,3に支持できるところがあれば、素直に評価する態度がとれないものだろうか。

 この手の人が繰り出しがちな陰謀論がダメなのは、陰謀があるという政治的現実に受け止めることができず、あたかもその陰謀がなくなれば問題が解決するかのような言い方をしている点にある。これは社会科学の放棄でしかないと思うのだが、そうではないと思い込んでいるところが、政治にナイーブとしか言いようがないところである。

*1:それは「第一の道」への逆戻り。