今は財政再建などをやっている場合ではない

 昔から消費税増税には賛成の立場だったのだが、現状は思い描いた通りになっていないどころか、むしろ真逆とも言える方向になっているので、一言(ではすまなくなったのだが)書いておきたい。


増税しても負担は増えない 
 税は、医療・介護・年金・育児・教育・雇用など、民間企業で担うことの難しく、さらにNPOなどで担うには専門的で規模の大きすぎる、国民の基本的な生存にかかわる分野への分配を増やす手段である。それによって、現在、特定の企業、家族、個人に偏っている負担を広く薄く拡散することが可能になる。理屈の上では、増税しても社会全体の負担は決して増えない。経済学系の人の増税への懸念は理解できなくはないが、これは経済学が扱える範疇を微妙に超えている問題だと思う*1


緊急財源は消費税でやるべきではない
 ただそのためには、現在の高齢者福祉に偏重した再分配の構造を修正しなければならない。今の増税論に非常に危うさを感じるのは、現在の高齢者福祉に必要な緊急の財源を補填するために消費税増税が主張されていることである。財政再建目的だけの超タカ派増税論者も少なくない。福祉サービスの質や量がほとんど変わらないのに、税だけが増えれば社会全体の負担は激増してしまうだろう。そうなると、「増税すると生活が苦しくなる」というネガティブなイメージがより強化され、それ以降にさらなる社会保障の充実を図ろうとする際の合意調達がますます困難になる。緊急財源については、負担感が最小限にとどまる赤字国債発行や高所得者所得税増税で対応すべきである。幸いなことに、菅政権のブレーンである神野直彦氏や小野善康氏は所得税増税論者であるので、ここは頑張ってほしい気がする。


増税経済学は疑問
 増税分を介護などの雇用に振り向ければ経済成長を期待できる、という言い方もよくない。増税が経済成長に資するというのは、その財源で分厚いセーフティネットを貼り、会社が倒産したり老親が倒れたりしても生活は大丈夫という安心感を与えることで、投資や消費への積極的な心理を形成する基盤になるということである。菅直人も最初はこの標準的な福祉国家の考え方をしていたのかと思ったら、よくよく聞いていると、増税で「成長産業」を育成するかのような言い方が混じっている。経済学的にそういう理論があるとしても、やはり疑問である。それは税の役割を完全に逸脱していると考える。



消費税はセーフティネットの全体像を提示してから
 消費税を上げるべき時というのは、医療や年金の財源が足りなくなったときではなく、今までにない新しい社会保障制度を導入するときである。だから民主党は、子ども手当てと高校無償化を行う際に、2%程度の消費税増税を主張するべきだった。さらに、子ども手当てで所帯持ちの負担が減る一方で、独身の非正規雇用の負担ばかりが増えないように、医療・介護・年金・育児・教育・雇用の社会保障の全体像をきちっと示し、増税を上回る見返りが全ての国民に行き渡る事を明確にしなければならない。逆に言うと、そうした全体像なしの消費税増税は、深刻な負担感の偏りをもたらすだけできわめて危険である。


 今の日本では、「ブラック企業」「ヤミ金融」「貧困ビジネス」にでもしがみつかなければ生けていけない人たちが、大量に生まれている。税とは、民間企業では抱えきれない、そうした人たちを救済するためにこそあるはずなのだが、それを全く無視した「消費税で財政再建」の横行は、全くの鬼畜生としか言いようがない*2。「今は財政再建などをやっている場合ではない」「無駄の削減なんて景気が回復してからでいい」と言ってくれる政治家が、一人くらいはいないのだろうか。

*1:ちなみに私のような「大きな政府」論者に対して(自分では決してそうは思っていないけど、今の立ち居地ではそういうレッテルを敢えて引き受けるべきだと思う)、「民業圧迫」批判を向ける人がいるが、私に言わせれば、福祉や貧困者の支援を民間企業が担っていて、「貧しい人を食い物にしている」と市場経済への不信感を醸成している現状こそが「民業圧迫」なのであって、もし健全で活力のある市場競争社会をつくりたいのであれば、人間の基本的生存にかかわる問題については、根幹は政府がひきうけて、民間企業は「お金と時間に余裕のある人」を相手に心置きなく「金儲け」に邁進してもらうことが経済の発展にとって一番である。だから逆に言うと、政府自身が金儲けに手を出す「産業政策」にも、基本的には否定的である。今の日本の問題は、官の権威や規制が無意味に強いところがある一方で、政府が引き受けるべき人間の基本的生存に関わる領域を民間に委ねているという矛盾にあると思う。

*2:その典型がhttp://diamond.jp/articles/-/8483である。井堀氏の本は昔読んでそれなりに勉強になった記憶があるだけに、これには心底がっかりした。専門分野で業績のある人が、政策論ではめちゃくちゃ(あるいはきれいごとの羅列)というのは時々みられる。