右翼と財政再建主義

 財政再建論者である与謝野馨が右派政党である「たちあがれ日本」に参加したのは、最初は意味がよくわからなかったのだが、考えてみると財政再建優先主義というのは、「国家」という有機体の生存が個々人の生存に優先されるべき、という点で右翼に通じるものがある。

 もちろん、大多数の国民は右翼でもなんでもない。しかし、「財政危機」「財政破綻」の言葉の前に思考停止し、議員・官僚の人件費を削減して「自ら血を流せ」とか、あるいは自分たちも「財政再建」のために少々の我慢すべきだとか、そういう世論はかなり一般的にある。そうした世論は、「国家」というものが単なる行政組織の集合体であり、統治のための道具である、という以上のイメージがなければ成り立たない。

 ヨーロッパでは、「財政危機」なので公務員の人件費や社会保障を削減する、と言えば途端にデモや暴動が起こる。世論の多数もそれを支持している。おそらく向こうでは財政のような専門的な問題は純粋に国家を運営している人達の責任であり、自分たちの生活を切り下げるような国家であればもう必要ないという、つまり国家というものは所詮は人為的・偶然的なものでしかないという考え方が基本にあるのだろう*1。日本でデモが起これば、間違いなく「財政危機なのにわがままだ」と轟々たる非難を浴びるはずであるが、それは端的に国家というものに対する距離感の違いなんだろうと思う。

 日本のなかで、財政再建主義に真っ向から異を唱えている政治家はごく少数だが*2、興味深いのは、その少数派が亀井静香城内実のように、やはり道徳的価値観の点では右派的なスタンスの人物であることだ。この解釈は難しいが、「たちあがれ日本」が「国家主義」だとすると、亀井らは「愛郷主義」なので国家に過剰に同一化せず「財政危機」を相対化できる、ということなのだろうか。

たちあがれ日本・与謝野が乱闘騒ぎ ― ゲンダイネット
http://gendai.net/articles/view/syakai/124798


 こんなところで立ち上がらなくても……。選挙戦初日、あわや乱闘の一幕があった。
 24日、新宿西口で第一声を上げた「たちあがれ日本」。コトの発端は、そのすぐ近くに民主党白真勲候補の街宣カーが止まり、演説を始めたことだ。
 途中、「ハクシンクン」の大コールが起こると、たちあがれ日本の応援団長を自任する石原慎太郎都知事が「うるせーな、コラ!どこの何人だ!」「たぶん帰化人だろう」と暴言。共同代表の与謝野馨氏は「バカヤロー! おまえら去れ!!」と叫び、民主党スタッフに掴みかかろうとする場面もあった。
 公職選挙法には、同じ時間に近くで演説してはいけないという規定はないが、その後も互いに「マナーを守れ」「ここは公道だ」とマイクパフォーマンスを繰り広げ、新宿駅西口では約1時間にわたって小競り合いが続いた。

*1:むしろ国家の境界を横断する「民族」の次元が人々のアイデンティティに大きな意味を持っている。

*2:共産・社民は大企業と「大金持ち」が負担しろ、あるいは防衛費や「思いやり予算」を削減しろと言っているだけで、財政再建主義に反対しているわけではない。インフレ政策を取り入れている「みんなの党」も、手段が規制緩和・民営化を通じた経済成長の実現というだけで、主張そのものは最右翼の財政再建主義である。