「議員や官僚が血を流せ」のお上意識

 「国民に負担を求める前に議員や官僚が血を流せ」と言う人がしばしばいるが、これは統治する人たちが完全な特権階級である封建社会でのみ通用する物言いで、ともかくも選挙で選ばれた代表である議員や、国家・社会を運営する専門家である官僚を減らせば、かえって国民の負担が増えることだってあり得るだろうし、むしろそう考えるほうが自然である。

 「議員や官僚が血を流せ」というのは、端的に言えば「お上意識」の歪んだ形でしかない。つまり、国民が政府を自らの手の届かない遠いところにあるかのように思い込んでいるので、議員や官僚の削減が自分にどう跳ね返ってくるのかの想像力が全く働かないわけである。もちろん、その責任の一端は、国会議員や官僚のパターナリズムにもあるのだが。

 私は「小さな政府」論を原理的に嫌っているわけではないが*1、ただ日本における「小さな政府」論者が嫌なのは、個人主義的な倫理をストレートに語るのではなく、「まず議員や官僚が血を流せ」的な、日本人のなかにある「お上意識」と癒着して自説を正当化していることが多いことにある。あるいは、日本ではそういう歪んだ形でしか「小さな政府」論は有り得ない、ということなのだろうか。

*1:たぶん根底的なところでは共感している。それを現実に語っている人や勢力が嫌いなだけで。