現代日本の「感謝」はどうも息苦しい

「感謝ソング」が流行っているという話を前に少し書いたことがあるが、思うに「感謝」の気持というのは、現状がある程度「うまくいっている」人じゃないと湧いてこないのではないだろうか。というか、明らかに「うまくいっていない」人が、他人や社会に「感謝」の気持が湧いてくるとしたら、ちょっと不自然というか、明らかに無理があるだろう。たとえば、ホームレスや「ネットカフェ難民」の口から、「ここまで育ててくれた親には感謝している」などという言葉が出くることなど、とても想像できないだろう。成功している歌手やタレントが口にするからこそ、その「感謝」の言葉に真実性があるのである。

さらに言えば、家族や友人に恵まれているということへの偶然性や壊れやすさへの意識が強まっているからこそ、「感謝ソング」が流行するのだろう。家族と上手くいかず、コミュニケーションも不得手で、職についても人間関係でつまずいて長続きせず、そのまま貧困層に没落していくという、多くの同世代の若年層の悲惨な風景なしに、「感謝ソング」の流行はあり得ない。もちろん、人間関係に恵まれてようがいまいが感謝の言葉は重要なのだろうか、現代日本の「感謝」は、どうも息苦しい感じというか、伸びやかさや明るさが欠けているように思われる。

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ちなみにググってたらこんな記事が。最後はつい笑ってしまった。

ありがとうソングが気持ち悪い − サカキマンゴー official website
http://sakakimango.com/ngoma/000390.html


ポップスの業界では、この時期を前に、「出会いと別れ」をテーマにした歌が次々に発売されていますが、ここ数年、「ありがとう」「ありがとう」とのべつ歌いまくる曲が多くて気持ち悪く思っています。

はじめに言っておきますが、この項は「ありがとう」を使うな、と訴えているのではありません。
この言葉自体は素敵な言葉だし、日常的によく使う。
これからもぼくも含めて使っていくと思います。
誰も文句をつけられるようなものではないと思いますが、表現者たちが安易に乱発することに嫌悪感を覚えているのです。
だいぶ昔に、「癒し」という言葉の乱発に対して思ったのと同じように気味が悪い。


(中略)


社会に対してとがった言葉で真実を突くべき、ヒップホップやパンクのアーティストたちまで口をそろえて「ありがとう」「ありがとう」「言えなかった言葉」「ありがとう」「キミにありがとう」「おかあさんありがとう」。
学校の音楽の教科書で使われることをねらっているのでしょうか?
そのうちPTA的「いい子ちゃん」推進ソングだらけになってしまいそうで恐ろしい。
空虚すぎる。

「ありがとう」という符丁を使わずに、自分の言葉で感謝の気持ちを表現できるなら、そっちの方がよっぽど価値がある。
「愛してる」を言わないラブソングのように。

きのうは、売り出し中のボーカル・ユニットが近所の駅前で歌っていました。
「次は新曲を聴いてください。『ありがとう』。


あと、前にも似たようなことが話題になっていたようである。

日本語ラップの感謝率は異常
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2010/05/post_2bf6.html