なぜ民主主義は間違った政策を選択するのか

 『選挙の経済学』(ブライアン・カプラン)という本を斜め読みしていて(頭の悪い自分には結構難しかったが)、なかなか面白いと思った一方で、根本的な違和感があった。それは、著者の経済学至上主義的な結論ではなく*1、「民主主義は正しい政策を導く」という仮想敵にある。

 「民主主義は正しい政策を導く」という世間の俗説があることは否定はしないが、そんな信念を持っている(まもとな)政治学者は一人もいないだろう。「民主主義」が必ずしも正しい政策を導かないなんて、あまりに自明のことである。民主主義とは、あくまで近代国家が政治的な合意と正当性を調達するための理念および制度であって、そもそも正しい政策を導くためのものではない。さらに言えば、「正しい政策」が何かを永久に空洞にしておき、国民の間に政治的な疎外感を発生させないことこそが、民主主義の本質である。

 (「組織票」以外で投票する)有権者が選挙で選択できるのは、再分配政策において「大きな政府」か「小さな政府」か、あるいは道徳的価値観において「保守」か「リベラル」かといった、大きな方向性だけである。専門的な話題について「民意」の選択にゆだねてしまえば、多くの場合「間違った」選択を行ってしまうのは、別に検証以前の当たり前のことだろう。政策論の正しさについては、あくまで官僚や学者などの専門家の間で議論してもらうしかない。財政・金融・税制の話というのは、新聞や新書を読んだ程度で理解できるようなものではない。

 だから、「なぜ民主主義は間違った政策を選択するのか」という問いに答えるとすれば、そもそも選択させているものが間違っているのであり、また政治家とメディアが誤ったものを争点化していると言うべきなのである。菅直人は消費税の説明で二転三転し、それが支持率を下げる要因にもなっているが、正直税制のテクニックに関する話など、どうでもいいとしか言いようがない。

*1:むしろストレートに表現されているので、ある種の爽快さすらある。日本でも同様な人はいるが、非常に不愉快に感じることが多いのはどうしてなのだろうか。