不勉強なだけかもしれないが

 金融政策も再分配政策の一種だという主張をどこかで見かけたのだが、さすがに驚いた。自分の乏しい経済学の理解では、金融政策によって起こるのは、預金や資産を溜め込んでいる人から、どんどんお金を遣って投資や消費をしたいという人にお金が流れることである。だから、金融政策の恩恵を真っ先に被る人は、投資意欲の旺盛なホリエモンような経済エリートであって、身障者やシングルマザーのような、今すぐにでも分配を必要としている社会的弱者ではない。

 今の日本において金融政策に期待される役割は、莫大な貯金と資産を溜め込んでいる高齢者から、若手経済エリートにお金を流して経済を活性化させることにあると考えられる。だからこそ、若手経済エリートの利害関心を代表しようとする「みんなの党」は、(支持者のなかに無理解者が多いとは言え)金融政策に熱心なわけである。断っておけば、これは金融政策が無意味あるいは問題があると言いたいのでは決してない。それが重要で必要だということについては全面的に賛成であるが、あくまで再分配政策の一種であるかのように理解すべきではない、ということである。

 そもそも、市場経済(というか主流派経済学)の論理では政府による経済への介入や規制がなるべくないほうが望ましいというのがデフォルトだが、社会保障・再分配政策についても逆のことが同様に当てはまる。つまり、教育・医療といった人間の基本的な生存に関わる分配については、市場経済の原理が可能な限り排除されるのが好ましい、というのがデフォルトなのである。だからリゾート施設を自治体が運営している場合、「どうして民間ではいけないのか」を政府が説明する責任があるが、混合診療の解禁を推進するような問題では、逆に民間企業の側に膨大な説明責任(所得による医療格差や診療費の高額化が生じないかどうかなど)が発生する。

 安定した持続的な経済成長を実現しようとする場合、この二つのデフォルトの間の矛盾をいかに調整するのか、ということが非常に重要になる。その意味で、「金融政策も再分配政策の一種」であるかのような理解には、こうした矛盾への自覚そのものが不足しているように思われる。もっとも、こちらが無理解・不勉強なだけなのかもしれないのだが・・・。

(追記)

 「インフレ目標」論が社会的な信用を得るためには、もう少しその副作用についても言及しておいたほうがいいと思う。金融政策それ自体は、格差の縮小よりも拡大させる蓋然性のほうが大きい。そして雇用が増えることが期待できると同時に、労働者の労働時間も激増する可能性が高い*1。さらに、物価の伸びに対して賃上げにも時差があると考えられ、一定の層では生活の苦痛や不満が増える危険性もある。だから、再分配政策・社会政策とセットにすべきということを常々強調しておかないといけないと思うのだが、どうして金融政策ですべてが解決するかのような*2、あえて誤解を招くような言い方をしてしまうのだろうか。

*1:「過労死」「過労自殺」現象が、バブル経済の絶頂期に生まれたものであることは、強調してもし過ぎることはない。

*2:そう言っていないことはわかるが、どうしてもそういう印象が残ってしまう。