データ的には「小さな政府」という謎

OECD諸国の公務員数 ― 社会実情データ図録 
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/5192.html


日本はここで掲げられたOECD26カ国の中で最も少ない5.3%である(働くものの5.3%が公務員)。OECD26カ国の平均は14.3%であるので、日本は先進国平均の4割以下の水準の公務員しか抱えていないことが分かる。小さな政府の代表といわれる米国は14.1%と少なくとも政府雇用者からいえば決して小さな政府ではない。

 最も公務員数が多いのはノルウェーの28.8%、第2位はスウェーデンの28.3%である。

 公的企業の雇用者の比率は、東欧を除くと、フランスとオランダが大きい(フランスの場合、図の注の通り、さらにデータに含まれない公共機関があるという)。日本の公的企業の比率も韓国より小さく、米国と同等の小さいな方である。

大きな政府・小さな政府(OECD諸国の財政規模と公務員数規模)― 社会実情データ図録 
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/5194.html


小さな政府のトップは、財政規模(対GDP比)ではメキシコであるが、先進国では韓国、アイルランド、スイス、オーストラリアの財政規模が小さい。日本の財政規模はこれら諸国に次ぐ第6位の小ささである。米国は日本に次いで財政規模が小さい。公務員数(対労働力人口比率)では日本がトップの小ささである。韓国、スイスが日本に次いでいる。

 このように日本はOECD諸国の中で最も「小さな政府」に近い存在である。政府(中央、地方)のサービス水準に問題があるとすると、その原因は、政府の非効率・ムダづかいなのか、それともそもそもの規模の小ささなのかを疑わなくてはならない。


 歳出規模や公務員の数・人件費において、日本が先進国の中で圧倒的に「小さな政府」であるというのはデータ的には厳然としているのだが、たぶん自分を含めた多くの人にとって、こうしたデータを見せられてもどこか腑に落ちないものが残ることも確かである。

 「まず官僚が身を切れ」と絶叫する政治家や政治ジャーナリストは論外だが、国際比較を持ち出して日本は実は少なすぎるという良識的な批判も、日本人の中にある「多すぎる」という実感をどう説明するのかという問題が残る。実際、こういうデータをよく知っているはずの経済の専門家の多くが、機会あるごとに官僚・公務員の人件費の高さを批判する「みんなの党」を支持できてしまうのも、日本が「小さな政府」であるという実感がない(ので今の社会問題がそれに由来して起こっているとは思えない)からだろう。自分自身、今の日本が「小さな政府」であると言われても、そういう実感が日常的にあるわけでは正直必ずしもない。

 この謎について、いろいろ理由は考えられる。「護送船団方式」と呼ばれる官僚による経済規制の残滓、社会保障制度など官僚主導による近代化路線の経験、JRや四大新聞社など「官僚組織のような民間大企業」の多さ、長期のデフレ不況による公務員の「優遇」感の強まり、世論の中心である高齢層向けの社会保障はそこそこ充実していること、治安のよさ、日本人のなかの潜在的な「お上意識」の伝統、などなど。

 しかしいずれにしても、被害者意識やルサンチマンに満ちた官僚・公務員批判ばかりで、今の日本社会の豊かさを維持するために公共部門の従業員がどの程度必要なのか、という地に足の着いた議論が少なすぎることは確かである。個人的には、最近の所在不明高齢者の問題一つとっても増やす方向でいくべきだという立場だが、今の日本の政治状況ではとても許容されるものではないだろう。「公務員の削減も実行できない現政権はだらしがない」の大合唱を毎日のように耳にしていると、ときどき自分の頭のほうがおかしいのかと不安になってくる。


(追記)

 経済の素人がクルーグマンを引用するのはやや気が引けるが、まさに我が意を得たりだったので。 

反政府キャンペーンはいつも決まって無駄遣いと詐欺への反対という体裁をとってきた.キャデラックを転がす「福祉の女王」宛ての小切手だの,むだに書類ばかりつくってる役人の群れだの,そういうのに反対するかたちをとってきた.でも,もちろんこういうのは神話だ.右派が主張するほどの無駄や詐欺なんて控えめにみてもなかった.キャンペーンが功を奏したいまになって,ほんとうは何が攻撃対象だったのかぼくらは目にしている:すごい富裕層以外の誰もにとって必要なサービス,公衆全体のための街灯やほどほどの学校教育みたいな政府が提供しなきゃ誰もやらないサービスが攻撃対象だったんだ.

この長年にわたる反政府キャンペーンでもたらされた結果,それはぼくらが破滅的なまでに道を間違えたってことだ.いまやアメリカは明かりのない暗い砂利道で立ち往生している.

http://econdays.net/?p=489

 クルーグマンを熱心に読んでいる人でも、これをあくまで超富裕層天国であるアメリカ社会に固有の問題と考えるか、それとも日本への箴言でもあるととらえるかでずいぶん違うと思うが、やはり日本ではこれを読んでも、「いやいや、日本の官僚特権や税金の無駄遣いはクルーグマンの想像をこえてひどいんだ」と、考える人が大半なような気がする*1。日本が「大きな政府」であるかのような日本人の自画像をひっくり返すのは、自分もかつてはそう思っていたところもあるので、なかなか難しい問題である。

*1:だからこそクルーグマンの愛読者が「みんなの党」を支持できるわけである。