大異を捨てて小同につく

 税制とか金融政策とかのテーマで、政治家が専門家を交えながら超党派で研究し、合意を形成するというのは必要だとして、消費税や金融政策が政治的な争点になるというのは、明らかに健全ではない。

 消費税増税に賛成する人といっても、法人税減税の代替として目論んでいる人もいれば、「財政再建」にしか関心がない人(主に財務省と財政学者)もいるし、あるいは北欧型の「大きな政府」を思い描いている人もいて、その関心は根本的にバラバラだと言ったほうがいい。だから消費税増税を政治的な争点にすると、この根本的な争点や対立が隠蔽されてしまうという意味で不適切なのだが、なぜかメディアや政治家(特に野党)は懸命に消費税を政治的な争点にしようとしてしまう。結果として、潜在的には「大きな政府」を支持している人が、「増税の前にやるべきことがある!」と絶叫する、「小さな政府」志向の政党を支持するというねじれが起こってしまう。

 消費税ほどにはメディアでは取り上げられない金融政策も同様である。たとえば、「弱肉強食の競争でこそみんながんばる」「政府にも企業経営の感覚を持ち込め」式の経済論を、万言を費やして批判してきた経済学者が、そうした主張を日々大きな声で繰り広げているはずの政党を、金融政策という一点のみで支持することがある。しかし、その根本的な社会観や人間観に同意していないはずなのにも関わらず、採用する政策技術を共有していれば支持できるというのは、自分の常識的な政治感覚からは、やはり理解不能である。

 あるいは、「小異を捨てて大同につく」と賢く振る舞っているつもりなのかもしれないが、自分からみると「大異を捨てて小同につく」とでも表現しようがないものである。政策手段が価値・目的に優先するというのは、官僚ならば職業病として仕方のない面もあるが、この小役人的発想が今の日本の政治風景にも蔓延しているような気がする。