どうなったらひっくり返るのか

図録▽OECD諸国の給与水準 社会実情データ図録 はてなブックマーク

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5193a.html

 公務員に関するデータを見せると、やはりというか、「でも一人当たりが」「独法などが」「天下りの問題が」などと、屁理屈をつけて反発する人が後を絶たない*1。データと実感の違いについて思考を進めるべきなのに、データ自体が恣意的であるかのように考えたがるわけである。自分の知る限り、こういうデータが「恣意的」であることの、説得的根拠を聞いたことがない*2。もっとも、自分も最初は「カラクリがあるのでは?」「偏っているのでは?」と疑問をもっていたが、知れば知るほどそういう疑問に根拠ことがないことを悟り、今は単純に公務員が少ないという事実から出発すべきだと考えている。
 
 日本の一人当たり賃金が高くなっているのは、長期のデフレ不況による民間の低賃金化の影響と、道路掃除など他の国では公務員扱いになっている低賃金の単純労働が民間に下請けされているから、という単純な理由でしかない。社会保障にしても、公務員を優遇していると言うより、大企業正社員と非正規との格差に似たようなものとして、つまり社会保障制度が安定的に組織に所属している人に圧倒的に有利になっている問題の一つとして理解すべきだろう。

 ただ、以前も述べたように、公務員の数の少なさを国際比較から問題にすると言うのは、筋のいい議論だとは思わない。むしろ、「今の日本の問題の多くは公務員が少な過ぎることで起こっている」という理解を広めることのほうが重要である。たとえば所在不明高齢者の問題のように、地域や親族による相互扶助の機能が失われれば、ある程度行政の役割は大きくならざるを得ない。逆にいうと公務員が少ない社会というのは、市場経済が未成熟で、インフォーマルな福祉を当てにできる、あるいは政府が国民の生存保障の能力を欠いている、後発近代化国や発展途上国でしかない*3

 なぜか日本では、むしろ公務員の人件費が高すぎることが諸悪の根源であるかのような考えが広まっており、データを熟知している経済学者も、こうした世論に乗っかる形で自説を正当化することが多い。しかも公務員の人件費削減が「天下り」などの「官僚利権」という、貧困や孤独死などの問題を解消し、自分たちの生活の豊かさを維持するために、どの程度の公共部門の従業員が必要なのかという問題とは全く関係のない話の文脈で語られ、それが世論に支持されている。この世論がどうなったらひっくり返るのかが、考えれば考えるほどわからない。

(追記)

 頭に入っていたはずなのに言い忘れていた重大な問題は、非正規の公務員については、多くが「物品費」扱いになっていることがある。

 そうなっている背景はいろいろあるが、やはり人件費の削減圧力が強まっている一方で必要な仕事が減っているわけではないから、「人件費」扱いにできないということになるのだろう。もし、既存のデータが非正規公務員の「物品費」問題を無視しているとすれば、公務員の賃金水準はかなり低下すると思われる。

 正規公務員の給与全体を下げることに一概に反対ではないが、その場合は、やはり官民を横断する社会保障制度や労働市場を整備することによって、組織にしがみつかないと生活賃金を得られないという状況を構築することが先決である。

 それにしても、人々の生活問題を全く無視した、公務員へのルサンチマンを安易に自分の政治的支持に利用しようとして公務員削減を絶叫する政治状況には、本当に憤りを感じる。頭がクールなはずの経済学者・エコノミストまで、そうした世論に便乗して自説を正当化していることにも大きな失望を感じている。 

*1:言うまでもないが、こういうデータは必ず独法込みで算出されている。

*2:むしろ「高い」と力説する側のほうが、明らかに恣意的にデータを操作している。

*3:貧困ビジネス」の問題も、行政が直に貧困問題に対処せず、民間企業に委ねていることに由来していると考えるべきである。貧困問題を(特に現在のようなデフレ不況下で)市場競争に委ねれば、一度市場が飽和してしまえば、サービスの切り下げや負担増という方向にならざるを得ない。もしエコノミストたちが「市場原理主義」批判を苦々しく思うのであれば、その批判が念頭においている貧困ビジネスのような問題は、市場から撤退させて行政に委ねることを主張すべきである。貧困のような問題を民間企業に委ねることで、市場に対する不信感を再生産し、現場で働く人も不幸にしていることを認識しなければならない。