「頼りがない」くらいは普通に受け入れるべき

 小泉政権以降、安倍政権から鳩山政権に至るまで、どの政権も「頼りがない」と批判の大合唱を浴びてきた。そうした批判の声を受けて、1年ごとに総理大臣が変わってきた。そして、変わるごとに「頼りがない」という声はますますひどくなり、現在まさに極点に達していると言える。

 有権者は、「どこかに頼りなるリーダーはいないのか」と、首を次々とすげ替え、そのたびに失望・落胆を繰り返している。政治家もこうした政治情勢に振り回され、敵対政党を攻撃する口調ばかりが鍛えられ、じっくりと政治や政策についての勉強や訓練が受けられないまま、国会議員になったり大臣を任されたりしている。大臣も1年単位で変わるので、政権運営のノウハウも当然蓄積されない。経験知やインフォーマルなコネクションの比重の極めて大きい外交問題では特にそうである。

 世論やマスメディアも、長妻前厚労大臣のように官僚批判ばかりが歯切れがよく、肝心の社会保障の問題についてはほとんど素人同然だった人物を(自分も大臣になる以前はここまで素人だとは思ってなかったが)、やたらに持ち上げる傾向がある。そして、「政権担当の経験がない」政治家に対して非常に甘い傾向も同じである。国民から総スカン状態の鳩山も菅も仙石も、野党時代は特に批判らしい批判は受けておらず、自民党を批判するだけで「わかりやすい」とちやほやされることに慣れてしまっていた。これで、政治家に「頼りがある」としたら、そのほうが不思議(というか危険)である。実際、政権を担当している民主党の政治家たちに、批判に対する免疫が全くないことは、彼らを見ていれば一目瞭然である(大臣経験のあった菅は若干ある感じはする)。

 小泉元首相の一番の失策は、5年の長期政権の間に、後継の実務政治家を全く育てなかったことだろう。彼の下で育ったのは、安倍晋三のように、せいぜいメディア向けに歯切れのよいことを語る人物だけだった。むしろ派閥のように、かろうじて政治家を教育するシステムとして機能していたものを解体し、その後に何も構築することなく去ってしまった。安倍政権以降、自民党は党内の意思決定の調整も全くできなければ、若手政治家もなかなか育たないという泥船状態になって、結局沈没してしまった。

 しかし個人的には、「頼りがない」くらいは普通に受け入れるべきだと思う。個人的に右派の民主党批判を(愚かで間違っているとは思いつつ)それほど不快に感じないのは、彼らはともかくも民主党の政治理念・政治的スタンスについて攻撃しているからである。むしろ不愉快なのは、圧倒的大部分の、「頼りがない」という以上の中身がよくわからない批判である。それは批判というよりも悪口でしかないし、またそうした悪口が本当に信頼に足る政治家を生み出すとは到底思えない。