政治家目線

 同じことばかり書いて恐縮だけど、馬鹿と思われるのを覚悟で書くと、政治家にダメ出しをするときには、自分に「じゃあ、お前はできるのか」という突っ込みを常に入れなければダメだと思う。

 ほとんどの人は、自分がその場に絶対に立たないことを前提にして政治を語っているのだけど、民主主義社会であるかぎり、そういうのは本来は許されないはずである。飲み屋の愚痴ならともかく、それなりの肩書を持って新聞やテレビで物を語っている人まで、そんな批判の仕方しかできていない。自分が政治家と同じ立場になったら、「同じようにだらしないとかはっきりしていないとか政局しか見ていないとか言われてしまうんだろなあ」とか普通に思ってしまうのだが、他の人はどうもそう思わないらしい。どこからそんな自信がくるのか(それとも自分が自信がなさすぎなのか)に不思議なのだが・・・。

 自分は、苦労の割に得るものが少ない政治家という職業を選んでいる人には(ひどい政治家や政党も少なからずいるとはいえ)基本的に敬意を払っている。よく政治家に「国民目線で」などと批判する人がいるが、自分からすればこれはまったくの間違いで、むしろ国民が「政治家目線」を持つことこそが、民主主義の根本のはずだろう。もちろんここでいう「政治家目線」とは、「俺に任せれば民主党のような無様な政治はしない。たとえば・・・」という意味ではなく*1、政治を運営することの困難への想像力を働かせること、そして自分もこの社会をつくっている責任の一端があることを自覚していくことを意味する。

 それにしても、今日本の政治を見ていると、どこかの弱くなった名門高校野球部を思わせる。甲子園に出れないとOBやファンが監督をバッシングし、毎年のように監督が入れ替わり、指導方針は一貫せず、すぐに結果を出そうと奇策に走るも当たらず、選手もやる気をなくしていくという・・・。

*1:同じことは今の民主党の首脳部が野党時代に散々言っていたわけで。