雇用をつくる

 金融政策と雇用の問題は慎重に分けて考えるべき、ということの追記のようなもの。

 経済成長で雇用が増えるというのは、必ずしも単純な関係ではない。もちろん、仕事が増える、企業に雇用の余裕が生まれることは間違いないが、一方で社会全体の生産の効率性が高まるということは、人が少なくて済むということであるから、経済成長してもさほど雇用が(減るということはないにしても)増えないという理解も成り立つ。

 ヨーロッパの働き方を聞くと、一人で済むような仕事を3人4人でやっているような印象を強く受ける。「ワークライフバランス」の問題で、フランス人が話していたのを聞いていたことがあるが、昼休みは2時間、4時前に退社、二週間の連続休暇といった、聞けば聞くほどのあまりの「ゆとり」ぶりに、日本人の司会者が何度となく「よくそんなんで仕事が回りますよね」と疑問を投げかけていたが、同じ疑問を感じない日本人は一人もいないだろう。もっともそのフランス人も、たしかに自分の国民は怠けすぎかもという感じで恐縮し、「でも仕事に集中するときは集中するので・・・」というくらいの言い方でしか応答できていなかったのだが。

 おそらく、先進諸国では社会全体の効率性が高まったことで、もはやさほど大量の労働力を必要していない。しかし、失業者として路上に放り出してデモや犯罪でも起こされるよりは、とにかく何か仕事につかせて所得を保障しておいたほうが、治安にとっても経済全体にとってもいいという考え方なのだろう。そういうわけで、EU諸国は公共部門で仕事をつくろうと、やたらに公務員の多い社会になっている。ヨーロッパ在住の人のブログを読んでも、向こうの「お役所仕事」ぶりは日本以上にひどく、「税金の無駄遣い」という批判が一向に起きないのが不思議なくらいだが、雇用についての暗黙の社会的合意があるのだろう。

 日本では新卒一括採用であるので、景気と雇用がより直接的に連動しやすいメカニズムがある。要するに、必要な仕事があるとその分だけ採用するというのではなく、企業の人件費のコストに余裕がでると採用する、余裕がなくなると採用しない、という仕組みになっている。だから、他の先進諸国では(というか高度成長中の韓国・中国でも)しばしば見られる、「雇用なき景気回復」の問題が、日本ではさほど見られない。金融政策とは別に雇用創出のための政策が必要だという理解が意外に少ないのはそのせいだろう、

 何を言いたいかというと、健全で充実した雇用を生むという政治的な意思と社会的な合意なしに、「経済成長」だけでは健全で充実した雇用は生まれない、という単純な事実である。日本では「雇用」を連呼した首相の下に、過去の氷河期以上の就職難にみまわれているのに、こうした政治的な意思と社会的な合意のかけらすら見出すことができない。