もはや「民主主義」とは言えない

本社・FNN合同世論調査 「早期に招致を」7割 内閣支持率23%

産経新聞 12月14日(火)7時56分配信

 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が11、12両日に実施した合同世論調査で、民主党小沢一郎元代表の国会招致について「早期に実現すべきだ」としたのは70・5%と、7割を超えた。衆院政治倫理審査会で小沢氏招致が議決された場合の対応でも、「招致に応じるべきだ」としたのが85・9%に達しており、小沢氏に国会での説明を求める世論は強い。

 菅直人内閣の支持率は前回調査(11月20、21日実施)から1・8ポイント微増したが、23・6%と低水準のまま。不支持率は0・2ポイント微減の59・6%で、依然として不支持が支持を大きく上回った。

 政党支持率民主党が18・6%で0・3ポイント減。自民党は1・7ポイント増の23・6%で民主党を上回り、差が広がった。

 来年の通常国会前までの内閣改造については、53・6%が「すべきだ」と答え、問責決議を受けた仙谷由人官房長官は「交代すべきだ」と回答したのは53・4%。同じく、問責決議を受けた馬淵澄夫国交相については「交代すべきだ」との回答は38・7%だった。

 民主党社民党との連携を強化することについては、49・6%が「妥当ではない」と答えた。

 ジェットコースターのような内閣支持率と、それを真面目に取り上げて現政権を批判する「識者」たちにが相変わらずいるが、そろそろ、これは日本の国民が何を支持したらいいのかわからなくなっている証拠として理解すべきだろう。菅政権はいろいろと手際の悪さはあるにしても、尖閣の問題を含めて、何か巨大な失策をしたというわけでもない。細かな失言やスキャンダルが逐一おおげさに取り上げられ、それが直に支持率などに直結するのは、国民の「支持」が「支持」と言える代物ではなくなっている証拠である。

 一言でいうと、「何か変えてくれそう」といった、政策の理念や内容以前の判断基準が大きな比重をしめるようになり、結果としてどの政党も「何か変えてくれそう」な振りをすることを一生懸命になるばかりになっている。民主党が政権獲得以前に言っていた、「政権をとれば20兆の無駄くらいすぐ洗い流せる。それができないのは自民党が官僚主導だからだ」というのはその最たるものだが、もちろん民主党も悪かったのだが、周囲のジャーナリストやコメンテーターはもっとひどかった。それが現実に不可能だとたしなめる役割のはずが、それを一切せず、「とにかくやらしてみよう」という雰囲気作りに荷担していたからである。結果として当然ながら、政治家は真面目に政策を勉強したり理念を洗練させたりするのではなく、「何か変えてくれそう」「やる気がある」的な雰囲気が出るような振りをすることだけに、労力を使うようになる。

 どうも今の日本の政治の風景は、アジアで最初に議会政治を実現した国というよりも、不慣れな議会政治をはじめたばかりの途上国を思わせるものになっている。数ヶ月の間に内閣支持率が半分になるのが当たり前では、それはタレント好感度調査と何も違いがなく、もはや「民主主義」とは言えないことは明らかである。ところが不思議なことに、内閣支持率の浮き沈みの激しさ自体を、民主主義の機能不全であると指摘する人が一人もいない。

(追記)

 「1年前に民主党に期待して投票した人も、もう失望して見限ってますよ」などという批判を何気に語る政治コメンテーターが多いが、考えてみれば、政党に対する支持が1年でころころ変わるのが別に当たり前という、ある意味でとんでもないことを言っているように聞こえる。「民主党に投票して今になって失望している人は、結局何を支持して投票したのでしょうか。まさか『一度政権交替を見てみたかった』という子供っぽい理由じゃないでしょうね」と問いかける人が、一人くらいはいないのだろうかと思う。どうも今の日本では、投票する側は無限に無責任でも別に構わないという雰囲気があるが、やはり民主主義としておかしいと感じるのは自分だけだろうか。

(更に追記)

 「国民が何を選択しているのか分からなくなっている」と特に感じたのは、「かんぽの宿」の売却問題である。

 「郵政民営化」が争点となった選挙で、連日のようにテレビでは郵政問題で議論が交わされ、その末に小泉自民党は圧勝した。「かんぽの宿」の売却のような問題は、その郵政民営化の当然の「成果」であるはずだが、ところが世論の多くはそれに対して「郵政を私物化している」と非難の目を向けた。言うまでもなく、「郵政民営化」を支持するとは、郵政を民間の経営のスペシャリストに「全権委任」することであり、そのほうが国民の利益をよりよく体現できるという考えに基づいていたはずだが、国民世論の多くはそんなものを選択したとは全く思っていなかったのである。選挙で大々的に争点化された郵政民営化ですらそうなのだから、他の政策については推して知るべしだろう。

 これは国民が愚かとかそういうことでは決してなく、政治家や特にマスメディアの政治評論家が、政治の選択の争点を適切に提示せず、相変わらず「政局ばかりで国民目線がない」「政治理念が感じられない」とか(この手の評論家に「国民目線」や「政治理念」を感じたことは一瞬たりともないが)、むしろ政治家の心構え(それも薄っぺらな)のようなことしか争点化できていないことに問題がある。

(さらに追記というか言い訳)

なんか、放言気味に書いたものほどよく釣れてしまって、困惑しております・・・。ちょっと批判のコメントに対して言い訳を少し。

 鳩山政権時代は普天間という巨大な失策があったが、菅政権には政権が崩壊しなければいけないほどの巨大な失策は、今のところ特に見当たらないように思う。尖閣問題も手際が悪いとか、やっぱり「外交音痴」なのかなというくらいで、ビデオ流出も海上保安庁の不祥事である。実際、批判のほとんどは「頼りがない」「はっきりしていない」「所詮は政局重視」といった抽象的な批判か、コアな民主党支持者以外は政権交代前から別に信じていたわけでもない「マニフェスト」違反くらいで、この政策の何でつまずいとか、巨大な不祥事が発覚したとか、そういう批判はあまり聞かれない。政治資金法改正の先送りの問題でやたらに怒っている人が一部にいたが、別にそこに批判が集中しているわけでもない。それに一番批判されるとしたら、菅首相が一番力を入れて語った「雇用」に関する問題のはずだが、ここは誰も批判していない。

 ちなみに、あるラーメン屋でたまたま見たテレビで、ある政治評論家が支持率の低下を解説しながら、「途中で支持率が上がってますけど、これは『反小沢』であって菅さんの実績じゃないんですよね」と薄笑いを浮かべて語り、それに他の出演者一同が失笑しているという風景があったが、日本の政治論議の最もダメな部分が集約されていると思った*1。「まあ首相の椅子は座り心地がいいんでしょうね」という物言いもあったが(さすがにラーメンを抱えてテレビから遠く離れようと思ったくらい)、こんな議論の中から立派な政治家が生まれてくるとしたら、そのほうがおかしいだろう。

*1:海外在住の人に聞いてみたいが、素人が世間話のように政治を語る番組があるのは日本くらいじゃないだろうか。そういう番組も一概に嫌いではなかったけど、最近はやはり観なくなってしまった。