また同じことを書くのかと怒られそうだが

世論調査の現状をデータで整理する 菅原琢
http://synodos.livedoor.biz/archives/1644503.html


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◇2011年、世論調査の課題◇ 

 ここで紹介したようなデータを、ある会合で示し、こんな一過性の役に立たない調査をするよりも、もっと政策的なことがらを聞いたほうが賢い分析ができるし、世の役に立つのではと指摘したところ、その場にいた新聞記者からは、政策について聞いたって毎回同じような答えしか返ってこないし、と正直な感想をもらった。つまり、そのときどきに問題となっているような事柄への反応、びっくりするような数字や数字の動きこそ、彼らがもとめているものなのである。


 ただ、こういった調査ばかりすることが一体何の役に立つのかということは、考えたほうがよいだろう。極端な数字が出やすい一過性の調査を繰り返すことで、逆に世論調査への不信感も高まっているように思う。「小沢氏辞職すべき○○%」のような情報を、新聞の読者や有権者が欲しているとは思えない。彼が辞めようがどうしようが、われわれの生活は変わらないのだから。


 おそらく2011年も政局の迷走は続くだろう。それによって必要な政策が先延ばしにされて被害を受けるのは、われわれ有権者である。世論調査が、政局に乗るための道具として利用されつづけるか、有権者の意向を政治に伝える経路として復権するか、今後も注意して見ていきたい。

 また同じことを書くのかと怒られそうだが、やはりここ数年の(特に麻生政権以降の)政治報道は、あまりにひどすぎると思う。

 これは本当にうんざりしているけど、ニュースの司会者や政治評論家は、締めの文句として「政局ではなく国民目線で政策を議論してほしい」と必ず言うのだが、じゃあ結局テレビやラジオで何を報道しているのかと言えば、「政治と金」の話題ばかりである。超党派社会保障政策や金融政策について足並みをそろえようという動きがあるのに、それについてはほとんど報道されていない。政局ネタばかりが報道され、それが内閣支持率政党支持率に直結するので、当然ながら政治家も政局問題への対応の動きが多くなり、政策論議にはおのずと熱心ではなくなってしまう。

 普天間やTPPに関する報道でも、それが賛成か反対かということがほとんど語られず、それもなんだかんだと政局話に引きずり込んでしまう。そういう報道を自分でやっておいて、最後に「政局ばかりでやりたいことが見えない」という批判の言葉で締めるものだから、本当に嫌になってくる。政治家を政局で振り回している原因の一端が自分たちにもあるのではないか、などという反省は一瞬たりとも起こらない。マスメディア上で語られる「政策論」を聞いていると、「政策の内容なんかどうでもいいから、ぐずぐずしていないでさっさとやれ」としか言っていないのではないか、と疑問を持たずにはいられない。

 思うのだが、日本人というのは一般的に、我慢強く、嫌な仕事も断らず、空気を読んでできるだけ人に話を合わせ、自己主張はなるべく控える、という人が大半である。というか、そういう人が「大人」「社会人」と呼ばれている。ところが、これが政治の話になるときれいにひっくり返ってしまう。「やると決めたらやればいいじゃないか」「何を怖がっているんだ」などなど、空気なんかぶち壊してやりたいことを貫き通せという、普通の良識的な日本人にはとてもあり得ないようなことを、政治家には平然と要求できてしまう。そもそも「国民目線の政治」というのであれば、そのだらしない部分も含めて「国民目線」でなければおかしいと思うのだが・・・。

 思うに、マスメディアはまだ「55年体制ボケ」から抜け出てないのではないだろうか。55年体制の時代は、新聞やテレビの評価がそのまま選挙結果や内閣支持率に反映される、ということはあまりなかった。佐藤栄作は退任記者会見で新聞記者を追い出すほど新聞からコテンパンに叩かれていたが、それでも「戦後最長」の政権になった。収賄容疑で逮捕されてテレビでは極悪政治家のように扱われていた人が、実際の選挙ではトップ当選というのも、むしろありふれていたことだった。こういう時代に、マスメディアが政治に対して「無責任」になるのは、ある意味で仕方がなかったかもしれない。

 しかし今、テレビの政治的影響力は圧倒的である。「テレビの衰退」が言われて久しいが、政治についていえばむしろ逆である。人口や投票率において政治を左右している団塊世代は、定年退職して生活におけるテレビの依存度が非常に高くなっていることで、テレビの報道のされ方が、そのまま内閣支持率や選挙結果に反映されることが多くなっている。それに(不思議なことだが)テレビ・新聞への日本国民の信頼度は、国際比較でみても非常に高い*1。しかしこういう時代になっても、政治報道番組は、相変わらず「利益で票をつる組織票の既成政党」対「現在の政治に不満をもつ無党派層」という図式を用いて前者を批判する、という55年体制的な語り方から抜け出すことができていない。

 変わったのは、素人が躊躇なく政治を話題にできるようになったり、国会議員がテレビタレントと一緒にはしゃぐようになったり、といったことだけである。それは一概に悪いことだとは思っていないが(自分も明らかにそういう番組の消費者だったわけで)、首相の政治・経済に関する政策知識に対して、いくらなんでもあなたよりは詳しいだろうという素人(あるいはごく限定的な話題でのみ知識のある人)まで、平然とダメ出しをする風景が出はじめている。繰り返しになるが、政治家に緊張感をもって政治をやってほしいのなら、批判するほうももっと緊張感をもって批判しなければやはり駄目だと思う。