与謝野馨の入閣について

与謝野氏:消費増税社会保障改革に執念、能力問われる「仕事師」

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920019&sid=aERQfTF3Hb4c


  1月14日(ブルームバーグ):「たちあがれ日本」を離党し、経済財政相として入閣することになった与謝野馨財務相は、自民党時代から「財政再建派」として日本の財政状況への危機感を訴え、税制・社会保障制度改革に執念を燃やしてきた。直前まで野党にいた議員がいわばヘッドハンティングされる形で政府の要職に就くのは異例。与野党の理解を得て悲願の消費税増税財政再建に道筋をつけることができるか、ベテラン政治家としての調整能力が問われる。

  与謝野氏は13日の記者会見で、菅直人首相が掲げる税制・社会保障制度の抜本改革について「財政再建、税制の抜本改革、社会保障制度の持続性の確保、これはいずれも日本の社会がどうしても避けて通れない喫緊の課題」と指摘。首相が6月をめどに交渉参加を判断する姿勢を示している「環太平洋連携協定」(TPP)についても「日本の通商政策としては極めて重要な役割を果たす」と前向きに取り組む考えを明らかにした。


 与謝野馨については、この10年の経済政策で最も責任を問われるべき人物の一人であり、その財政再建主義的な物言いにも強く違和感を覚えているが、社会保障については割合に常識的で真っ当なことを言っており、改革原理主義的な風潮にも批判的なスタンスなので、個人的には評価は相半ばしている。

 というか、社会保障を重視する立場から言うと、やはり評価はどちらかと言えば好意的にならざるを得ない。麻生政権時に社会保障国民会議を指揮したのは与謝野であり、それ以前は(驚くべきことに)社会保障を専門的に議論する諮問機関がほとんど皆無だったとことを考えると、やはりこれは素直に評価したいという気持ちがある。与謝野馨の経済論を厳しくダメ出しする経済学系の人も、自分から見れば、社会保障の問題ではほとんど素人談義で聞くに耐えないものが多い。与謝野の経済論は個人的には疑問な点もあるが、別に聞くに耐えないというほどのものではなく、知識そのものは割に豊富である印象がある(だけに厄介なのだけど)。

 思うに日本では(だけではないと思うが)、社会保障論が財政再建論と同じ文脈を強く共有し、逆に(もしケインズクルーグマンを念頭に置くのであれば)社会保障論と親和的であるはずのマクロな金融・財政政策論との分断が著しくなっている。とくに金融・財政政策を重視する人が、「小さな政府」を掲げる構造改革系の「みんなの党」に結集していることによって、この分断は著しくなっている。この文脈の中では、ともかくも「最小不幸社会」を掲げ、相対的に社会保障への関心が強い菅直人与謝野馨が接近するのは、ある意味で自然な成り行きだろう(金融政策も消費税も否定する、福祉を掲げながら社会保障論については無知な共産・社民は論外)。与謝野はある側面からみると「小さな政府」に見えるし、別の側面からみると「福祉国家」的でもあるという感じで難しいのだが、ある意味で日本の経済・財政・社会保障の政策の間の色んなねじれを象徴していると言えるだろう。

 社会保障というものは制度の歴史的な蓄積を無視できないが、国民の関心の高さから、やたらと勇ましい改革論や実現困難な新奇な政策が飛び出したりもしやすい分野でもあり、そのなかで与謝野馨は割に着実で安定していると評価せざるを得ない。もちろん「はてなダイアリー」周辺にいる人は9分9厘与謝野を嫌悪しているだろうし、こんなエントリを書くと軽蔑されることは必至だが、彼がまともに見えるくらい、今の政治で語られている言葉や社会保障政策論議の現状がひどいと言わざるを得ないということである。

(追記)

 「政策通」と持ち上げる人もどうかとは思うし(この10年の実績はやはり褒められたものではないので)、財政再建主義的主張にはかなり辟易しているが、以下のような認識はやはり今の政治家の中ではすごく真っ当だなとは思う(当たり前といえばそうなんだけど)。問題は、こういう認識の人が実際には「小さな政府」の流れに棹差してきたし、今でもその傾向がないとは必ずしも言えないことである。

衆議院財務金融委員会 平成21年02月24日

http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=44&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=10358&DPAGE=3&DTOTAL=71&DPOS=46&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=322


○与謝野国務大臣 大きな政府論、小さな政府論というのは、現在ほとんど意味を失っているんじゃないかというふうにも考えます。
 というのはなぜかといいますと、我々が習った小さな政府論というのは夜警国家、国は外交と防衛と警察しかやらない、そういうのは教科書的な小さな政府。だけれども現実は、政府がかかわっている社会福祉政策というのは、これは小さく縮めることもできないほど大きくなっている。ですから、政府と個人とのかかわり合いでは、もう小さな政府というのは現実にはあり得ない
 ですから、スウェーデンのような何から何まで政府がやりますという大きな政府にするのか、なるべく社会保障制度には国がかかわらないような小さい方向で物事を考えていこうかという程度の分け方はできるんですけれども、この日本において、小さい政府、大きい政府という議論をすること自体は意味のない話であって、今の中ぐらいの政府をそのままにするのか、もっと国の役割を大きくするのかどうかという議論はできますけれども、これを小さくしようということになりますと、国の行政組織、国の役人の数というのはもうほとんど世界で一番小さい。あと小さくするとしたら、社会保障の世界になっちゃう。
 ですから、国の行政組織のあり方と社会保障制度の小さい大きいのあり方と、やはりそこは切り分けて議論しないと、国の行政組織と社会保障制度を一緒にして小さいか大きいかということを議論するのは、ちょっと議論が混同するし、ややわかりづらいんじゃないかなと私は思っております。

(追記2)

 マクロ経済政策で雇用が増えやすい条件をつくり、それが単なる物価高や過労にならないように、増税による再分配・社会政策で支えていくというのが、自分のイメージする素朴な政策論だが、こういう立場の人はほとんど皆無のようだ。社会保障を言う人はやたらと「財政破綻」を枕詞にし、マクロ経済を言う人は何かと消費税を目の敵にして(他の増税について熱心なわけでもない)、両者がいがみ合う風景には戸惑うばかりである。与謝野氏か高橋洋一氏かという、そんな選択肢しかないのだろうか*1


(とりあえず一言)

 与謝野路線か高橋路線かの二者択一が争点になっていること自体が不健全なのに(自分も高橋氏の経済論は大変ためになると思っている)、この争点が本質的であるかのような前提で議論が展開し、そのことが菅政権を結果として財政再建主義的傾向に陥らせているような結果になっている気がしてならない。どうも「リフレ」派と呼ばれる人たちも、この争点をかえって強化・本質化するような物言いばかりしている印象があるが、それは福祉に関心のある人たちを与謝野路線(共産・社民に行く人もいるだろうが)に追いやるだけでしかないだろうと思う。

*1:二人のどっちかと言えば、自分の立場としては与謝野氏を選ぶしかない。