脱「小泉構造改革」の果てに

 前回の補足。

 与謝野馨と菅政権の接近を見ると、今から振り返るに、2000年代半ば頃からの「小泉構造改革」の在り方*1を反省しようという流れが、わかりやすく言えば与謝野馨路線か高橋洋一路線かに(ご両人とも皮肉にも小泉政権の内部にいた人たちだが)分岐していく方向性が綿々とあったのだろうと思う。つまり、 財政再建を枕詞にした社会保障論と、「小さな政府」の徹底化を目指す金融政策論であり、その対立構図の中で福祉系の人が与謝野路線に、経済系の人が高橋路線に収斂し、特に「消費税」というテーマをめぐって、不倶戴天の敵のような関係となってしまっている。そして社会保障に優先順位を置く自分としても*2、また政治社会に対するバランスのとれた見方をしているという点でも、やはり与謝野路線を選ぶしかないという立場にある。

 要するに、脱「小泉構造改革」の議論の仕方や争点の提示をどこかで間違えてしまい、その果てに菅政権の与謝野路線化がある気がしてならない。菅直人は当初、「小泉構造改革」を批判する形で、今の日本では供給の弱さよりも需要の不足が問題だと言っていた。需要重視の国民新党と連立を組んでいることもあり、その気になれば金融政策論といくらでも共闘できた気もするのだが、私の記憶では金融政策を重視する経済学系の人たちは、菅直人が「需要」「雇用」を口にしてもほとんど評価せず、むしろ慎重に口にしはじめた消費税論議を全面的につぶしにかかるほうにエネルギーを使っていた。そして菅も「需要」「雇用」を言うよりも「財政再建」を枕詞にしたほうが世論の納得感を得られるという事実に流されて、どんどん財政再建主義的な主張に傾斜していくことになった。結果として、メディア上で「小泉構造改革」的な主張がまだ根強いことを考えれば、それとの対抗で社会保障論者と金融政策論者が緩やかに共闘できるはずだったのが、むしろ分断のほうがひどくなってしまった。今回の与謝野入閣はこの流れの上にある。

 自分からすれば、専門性の高い金融政策や社会保障政策は超党派の専門家による機関で策定し、どの政党が政権を担っても極端に政策が変わらないようにするべきだと思う。その点で、菅政権が麻生政権時の社会保障国民会議の報告書をほぼ丸飲みしたことは、政治評論家はこれも菅政権を揶揄・嘲笑するネタの一つにしているのだが、それ自体は決して間違ってはいない。専門家が結集して真剣に考えて出した結論や構想は、政権が変わったからといって簡単に引っくり返すことができるものではない。だから金融政策についても、社会保障国民会議のようなもの組織すべきと言い続ければいいだけなのだが、なぜかその中心にいる人たちは、政局や世間の反官僚感情と結託して事態を打開しようとする傾向にあるのだが*3、自ら泥沼に入り込んでいるような気がしてならない。


(追記)

 与謝野氏の財政再建路線と経済論に対しては、自分の知識のレベルでも違和感が多いので、むしろしっかり批判が行われてほしいという気持ちが強いが、しかし見ていると、高橋洋一氏を筆頭にして、財務省陰謀論か、無知・無能という決め付けか、こちらが納得する気が失せるような品のない批判がやたらに多い。与謝野氏か高橋氏かは0か100かではないはずで(というか0か100かのようなこれまでの争点化の仕方が今回のタカ派財政再建主義内閣の背景にあると思っているので)、個別の論点ごとに是々非々で接すればいいという当たり前の態度にどうしてならないのか・・・。

*1:規制緩和と公的福祉の縮小で厳しい市場競争を国民に課せば経済の活力が高まるというもの。

*2:社会保障を後回しにした金融政策は、デフレだからこそなんとか生活を維持できている、潜在的に相当な人口に上ると思われる人々(特に高齢貧困層)を中心に、自殺者を激増させる可能性が高いと考えざるを得ないので。

*3:自分の関心のある特定の政策を掲げているという理由で特定の政党を支持するという訳の分からない人もいるが、ある政党を支持するとは(組織票や利権票でなければ)その政党の政治スタンスや価値観全体を支持することに決まっているだろう。